延岡駅のコンビニで買えた商品。スーパーの惣菜向けなプラ製トレーに、鮎の姿寿司をひとつ、酢飯に大葉とアユの開きと昆布を貼り付けて8切れにカットしたものが横たわる。鮎は延岡の名物でもあり、かつて延岡駅が公式な駅弁販売駅であった1990年代まで、ここには鮎ずしの駅弁があったため、その後継品であるように感じた。今は駅では売られていない模様。
日豊本線の延岡駅から宮崎駅までの区間では、1991年から高速化改良工事を実施、1994年11月に完成し、特急列車を毎時1往復に増発、所要時間が73分から60分に短縮された。延岡を企業城下町とする旭化成が、宮崎空港との間でチャーター運行したヘリコプターが1990年9月に墜落して乗員乗客全10名が死亡したことをきっかけに、24.6億円の事業費の半分を宮崎県が、2.9億円を旭化成が負担して完成した。加えて宮崎空港線も開業し、電車で延岡から空港まで行けるようになった。国からの補助金は1円も入らず、道路や空港の整備とは大違い。
1966(昭和41)年10月13日17時の調製と思われる、昔の延岡駅弁または南延岡駅弁の掛紙。名物やなと高千穂峡を描く。延岡水郷鮎やなは今も延岡市内の五ヶ瀬川で、100メートルを超える川幅に10月から12月まで毎年設置されるという。
おそらく1930年代の調製と思われる、昔の延岡駅弁の掛紙。調製元の名前と駅名がなければ、どこの駅のものか分からないくらい、一般的な絵柄と記載事項でできている。調製元の福寿亭は臼井福松が1923年に構内営業を認められた、延岡駅前の料理屋の屋号で、1957年に廃業し梅の家へ引き継がれたという。