博多から特急列車「ソニック」で約2時間。大分市は大分県の真ん中で瀬戸内海に面した、人口約47万人の城下町で県庁所在地。戦後昭和に製鉄や石油化学コンビナートの臨海工業で発展した。駅弁は1918(大正7)年から売られたが2007年に撤退、以後は駅の弁当売り場に、いくつかの業者による惣菜や新作駅弁が出たり消えたり。1911(明治44)年11月1日開業、大分県大分市要町。
博多から特急列車「ソニック」で約2時間。別府市は大分県の中部で瀬戸内海の別府湾の奥に位置する、人口約11万人の温泉町。日本一の源泉総数と総湧出量を持ち、市街のいたるところで湯けむりが立ち上り、年に1000万人以上の観光客が訪れるほか、市民の生活は温泉とともにある。駅弁は1920(大正9)年から売られたが2007年に撤退、以後は駅の弁当売り場に、いくつかの業者による惣菜や新作駅弁が出たり消えたり。1911(明治44)年11月1日開業、大分県別府市駅前町。
2004(平成16)年に6種類が誕生した小柄安価駅弁「豊後香箱シリーズ」のひとつ。というより従来の「あじずし」(525円)のリニューアルか。経木枠長方形の容器に木目柄ボール紙のフタをかけて輪ゴムでしばり、ピンク紙にインクジェットプリンタで文字を印刷した掛紙をかけてゴムでしばる。中身は生姜を盛りシソの葉を挟んだ酢締め鯵の握り寿司が6カン。
この価格で関アジは使えないと思うが、身の締まりは他駅同種駅弁の上を行くと思うし、身も厚切りで使ってくれている。底深容器で空間を広く取ったことで中身の見栄えもOK。掛紙の見栄えや品質は残念。
この駅弁は、2007(平成19)年11月の駅弁業者の撤退により終売となったと思われる。
※2008年1月補訂:業者撤退を追記木枠の長方形の容器に木目調の紙ぶたをかけて輪ゴムで留め、さらに竹皮を巻いて商品名を書いた紙をかけて竹皮柄の針金でしばる。中身は大分米ひのひかりの酢飯に大葉を挟んで酢締めの小鯵を載せ、おろし生姜と刻みネギを添える、つまり小鯵寿司。列車内でこういう内容の商品をつまむシチュエーションを想像しにくいのだが、こういう内容で駅弁にしているのは驚いてよいと思うし、味もよいと思う。
この駅弁は2005(平成17)年「九州の駅弁ランキング第2弾」の駅弁ラリーで全50種の収集を目指すため、その対象の大分駅弁を4種まとめて別府駅受取で予約購入したものだが、売店取り置きではなく調製元係員の直接持参手渡しとなっていて、びっくりした。
この駅弁は、2007(平成19)年11月の駅弁業者の撤退により終売となったと思われる。
※2008年1月補訂:業者撤退を追記2000年頃に発売。駅弁では米子や敦賀や高山で見られる棒寿司を、大分近海の鯖を使って作ったもの。小さな割にいい値段がするが、脂の乗り、ぷりっぷりの食感、酢飯に対する鯖の分量、いずれも半端ではなく、駅弁を超えて名産品か土産物と見たい逸品。その証拠に、駅弁としては珍しい要冷蔵の商品である。
この駅弁は、2007(平成19)年11月の駅弁業者の撤退により終売となったと思われる。
※2008年1月補訂:業者撤退を追記上記の駅弁「豊後さば寿司」と同じもの。しかし「冷蔵庫に入れずに涼しい場所で保存」と、その取り扱いに関する注意点がまるっきり逆になった。見栄えも中身も風味も同じなのに、なんでこんなに違うのかは分からない。
この駅弁は、2007(平成19)年11月の駅弁業者の撤退により終売となったと思われる。
※2008年1月補訂:業者撤退を追記市販の仕出し弁当向け容器に、小さな掛紙を置いて駅弁とする。中身はじゃこめしを中心に、高野豆腐、里芋、こんにゃく、ブロッコリー、蒲鉾、鯖大根巻、鶏の天ぷら、ちくわフライ、椎茸などの煮物、焼き鮭と玉子焼、うぐいす豆、大根漬を添えたもの。
大分県が世界に誇る地域おこしキャンペーン「一村一品運動」による各地の特産にちなんだおかずを、さりげなく盛りつけたそうな。そのため内容に脈絡がないように見えて、全部で一食としてまとまった感じで、酒のつまみにもなりそう。磯の香はしてこなかったが、駅弁として優秀な普段着といったところ。2007(平成19)年11月の駅弁業者の撤退により終売となったと思われる。
※2008年1月補訂:業者撤退を追記2004(平成16)年度にJR九州が実施した駅弁キャンペーン「第1回「あなたが選ぶ、九州の駅弁ランキング!」」の、創作駅弁メニューを募集する「私の駅弁レシピ」で、最優秀賞を獲得した公募レシピを商品化し、2005(平成17)年4月に発売。折箱の形状は高級弁当向けなのに、桃色の事務用紙に黒文字を印刷した掛紙は簡易的。中身は中央に花形の日の丸御飯、その周辺に鶏ゆずこしょうマヨネーズ炒め、ネギと油揚げすき焼き、椎茸天、かぼすゼリーなど。普通の駅弁や弁当にあまりないような味や形のおかずを楽しめた。2007(平成19)年11月の駅弁業者の撤退により終売となったと思われる。
JR九州は1987(昭和62)年の発足直後に大々的な駅弁テコ入れを実施したことがあったが、2004年度のJR西日本「駅弁の達人」に触発されたか、十数年ぶりのキャンペーン「第1回九州の駅弁ランキング」を突然にやり始めた。半年で全九州37駅弁の人気投票、駅弁レシピ公募、エッセイ公募の三本立てを募集から発表までこなし、メディアにも取り上げられたので一定の成果は出ているはず。
※2008年1月補訂:業者撤退を追記2002(平成14)年5月に発売。従前の駅弁「地鶏弁当」のリニューアルか。大分駅弁らしい大きめ長めな長方形経木枠の容器に木目調ボール紙のフタをして、地鶏弁当の文字だけ変えた昭和レトロな絵柄の掛紙で包み、2本のゴムで十字にしばる。
中身は鶏御飯に鶏照焼と錦糸卵などを載せ、薩摩芋などの天ぷらや椎茸などの煮物などを添え、デザートはかぼすゼリー。内容の割に高価と思えるが、それに見合う鶏や具の品質を備えると思うし、掛紙も中身も風味もまさに駅弁風なのがうれしい。
卵とり地鶏とは変な名前だが、大分県中津市耶馬溪町の下郷農協で有精卵を一年間生み続けた産卵用地鶏を食肉用に飼育し直したから、この名前で良いらしい。つまり若鶏ではないのだが、そう言われると円熟の風味がしたような。
大分の駅弁屋さんはかつて佐伯駅にも支店があり、日本最初のきじ肉駅弁を販売していたが、現在は延岡とともに撤退してしまった。
この駅弁は、2007(平成19)年11月の駅弁業者の撤退により終売となったと思われる。
※2008年1月補訂:業者撤退を追記1994(平成6)年に開催された「しいたけ弁当コンクール」の作品をもとに、大分駅の駅弁屋が商品化したもの。正方形3つ分の細長い容器を使用、中身は左に梅花型の椎茸御飯、右に椎茸の軍艦巻きが3個、中央に唐揚げや卵焼きや昆布等のおかずを配置する、椎茸づくしの内容。2007(平成19)年11月の駅弁業者の撤退により終売となったと思われる。
※2008年1月補訂:業者撤退を追記「梅の家特選季節弁当」と書いてあり、夏季限定の駅弁だろうか。あさり弁当ということで、掛紙にはアサリを描く。中身は五目飯にアサリ煮を載せ、有頭海老などの煮物に玉子焼や漬物などを添えたもの。この駅弁は大分で実施されたワールドカップサッカーの決勝トーナメント1回戦の観戦前に購入し、競技場の中で食べた。入場料はこの駅弁約40個分もした。2007(平成19)年11月の駅弁屋の撤退により、終売となったと思われる。
※2008年1月補訂:業者撤退を追記1980(昭和55)年8月4日11時の調製と思われる、昔の大分駅弁の掛紙。駅弁の名前にした旅のみやげ話のとおり、大分県日田郡の民話「やかん問答」とそのイラストを記す。民話を記す駅弁の掛紙が珍しいわけではないが、当時の大分県では平松守彦大分県知事の提唱による、県内すべての市町村でひとつ以上の特産品を用意して地域おこしという「一村一品運動」が実施され注目を集め始めた頃なので、そんなことを思い出させてくれる絵柄に見えた。
1965(昭和40)年8月10日17時の調製と思われる、昔の大分駅弁の掛紙。描かれるものは上から高崎山、臼杵の石佛、府内城(大分城)だろうか。梅の家の屋号を持つ調製元は、1942(昭和17)年4月に大分県内と延岡駅の駅弁屋が合併してできた会社で、そのため各地の主要駅に営業所を構え、合併後も各駅で異なる駅弁を販売していたが、今はすべて撤退済み。