熊本駅から普通列車で約1時間の終着駅。三角は有明海と不知火海を分ける宇土半島に突き出た港町であり、明治時代の近代築港から1966(昭和41)年の天草五橋の開通まで港湾で賑わった。駅弁は1954(昭和29)年から売られ、鯛の姿すしなどの駅弁が知られ百貨店催事などでも売られたが、2003年に撤退、2011年の観光列車の登場で各社の駅弁が売られ始めたが、約1年で消えた。1899(明治32)年12月25日開業、熊本県宇城市三角町三角浦。
熊本駅と三角駅を結ぶ観光列車「A列車で行こう」の運行開始に合わせて、2011(平成23)年10月8日から同列車の運転日に限り、「海辺のたこ飯」「浜のときずし」「小西行長城下町弁当」「おこしき弁当」4種が三角駅で販売されるようになった、街おこしタイプの駅弁のうちのひとつ。調製元は三角駅前の観光物産館。
長方形の竹皮編み容器を、海とタコと三角駅舎と高速船をなんとなく描いた薄手の掛紙で包む。中身はタコ入り五目飯の上にイイダコ煮をまるまる1匹載せ、ニンジンやレンコン、みかんやガリを添えるもの。最近の弁当にしては味付けが控えめで、しっかりとした食感のタコが印象深い。
今は各駅停車が熊本駅と三角駅を1〜2時間毎に行き来するだけの三角線は、明治時代には鹿児島県や宮崎県への鉄道に先駆けて開業し、昭和時代にも別府や阿蘇への急行列車が乗り入れる重要な路線であった。三角には明治時代に当時の三大築港のひとつである貿易港が築かれ、また天草諸島への玄関口でもあった。しかし前者は八代や熊本にできた大きな港に代わられ、後者は1966(昭和41)年の天草五橋の全通で自動車に代わられ、今に至る。三角町もいわゆる平成の大合併による5町の新設合併により、2005年1月に消えてしまった。
この駅弁は2012年11月までは土休日の駅での販売があったようだが、それ以降の販売を確認できていない。
※2014年2月補訂:終売可能性を追記熊本駅と三角駅を結ぶ観光列車「A列車で行こう」の運行開始に合わせて、2011(平成23)年10月8日から同列車の運転日に限り、「海辺のたこ飯」「浜のときずし」「小西行長城下町弁当」「おこしき弁当」4種が三角駅で販売されるようになった、街おこしタイプの駅弁のうちのひとつ。調製元は実物では不明だが、ネットで調べると「宇土マリーナおこしき館」である模様。
木目柄で長方形の容器を、商品名の由来になったと思う御輿来海岸(おこしきかいがん)の絵画をデザインした薄手の掛紙で巻く。中身はイカとアサリの炊込飯に、シイタケやカボチャやコンニャクなどの煮物、イカのかき揚げ、イカとキュウリの和え物、おこしき貝(マテ貝)の煮物、オレンジなど。容器の安っぽさを吹き飛ばす食材の彩りと、イカや貝の雰囲気の良さは、都会を離れ旅に出て出会えた良かったなと思えるレベル。
宇土半島で有明海の島原湾に面し、1958(昭和33)年までは単独で村制を敷いた宇土市の網田(おうだ)地区は、かつて海水浴場で栄え、平成に入りマリーナや道の駅が建設され、今は4〜5月に漁れるコウイカを名物として推すという。ここの干潟の砂模様が、1200年前の天皇から現代のカメラマンまでを魅了する。国道57号とJR三角線が併走するが、列車の車窓からよく見えた記憶がない。
この駅弁は2012年11月までは土休日の駅での販売があったようだが、それ以降の販売を確認できていない。
※2014年2月補訂:終売可能性を追記熊本駅と三角駅を結ぶ観光列車「A列車で行こう」の運行開始に合わせて、2011(平成23)年10月8日から同列車の運転日に限り、「海辺のたこ飯」「浜のときずし」「小西行長城下町弁当」「おこしき弁当」4種が三角駅で販売されるようになった、街おこしタイプの駅弁のうちのひとつ。調製元は宇土駅徒歩11分の居酒屋兼ホカ弁フランチャイズか。
市販の仕出し弁当向けボール紙製容器に、商品名と小西行長の紹介文や銅像写真をデザインした掛紙をかける。9区画の中身は、あさりごはん、グリーンピースの豆御飯、カボチャとニンジンとオクラの煮物、チキン南蛮、沢ガニ唐揚とかまぼこと玉子焼と茹でエビ、エビやシソなどの天ぷら、たくあんと切り干し大根、煮豆とミカンなど。おそらく気合いを入れて開発し心を込めて調製したぶん、内容がごちゃごちゃしていることとその解説がないことで、駅弁として売り込むには損をしていると思った。
小西行長(こにしゆきなが)は、戦国時代の宇土城主。現在の大阪府堺市に生まれ、豊臣秀吉の家臣として活躍したことで天正15年(1587年)に肥後に20万石の所領を与えられ、宇土の城と街を築いた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に付き、その敗戦により斬首される。小西行長城下町とは、つまり宇土のことであり、今でも行長は宇土の市民と行政に深く親しまれている。
この駅弁は2012年11月までは土休日の駅での販売があったようだが、それ以降の販売を確認できていない。
※2014年2月補訂:終売可能性を追記1958(昭和33)年の発売。昭和時代後期の名物駅弁で、当時はデパートの駅弁大会などにもよく出品された。魚型というか葉っぱ型に固めた酢飯の上に、塩漬けの後酢で締めたレンコ鯛という小ぶりの鯛を半身で頭から尻尾まで丸ごと、魚そのままの形で載せる、その名のとおりの姿ずし。タコ煮物や海老佃煮など、付け合わせも海のもの。
三角駅は、駅前がすぐ港。かつては天草や島原への玄関口で、駅には別府や阿蘇からの急行列車が乗り入れた。天草五橋の開通で玄関口でなく通過点になり、周遊という観光の形態がすたれたことで急行列車が来なくなった。今は熊本駅に発着する普通列車が、ぴったり60分毎に訪れる小さな終着駅。
2003年8月限りで駅弁業者が駅構内営業から撤退したそうで、その後は事前予約による販売が行われていたそうだが、現在は入手できない模様。
1983(昭和58)年までには発売。多治見焼の器に木のふたをして、ボール紙の箱に収める。中身は天草地方の郷土料理「とぐ寿司」。コノシロという魚を刻んで、酢飯にとぐように混ぜるので、この名が付いているそうな。その上に栗や椎茸や海老やキュウリを載せる。現地では要予約の駅弁。
2003年8月限りで駅弁業者が駅構内営業から撤退したそうで、この駅弁については現在は予約でも入手できない模様。
1993(平成5)年1月1日に購入した、昔の三角駅弁の掛紙。自分で買った駅弁のはずなのに、中身や購入時の状況をまったく覚えていない。六角形の容器に酢飯を詰め、カニやしいたけやワカメなどを散らしたものだったそうな。