亀山駅から関西本線のディーゼルカーで3駅30分。柘植駅は関西本線が草津線を分ける駅で、汽車の時代は幹線鉄道の要衝であり、駅弁が売られた。今は駅弁はないが、当時の駅弁屋が駅前で喫茶店を営んでおり、復刻駅弁を時々売る。1890(明治23)年2月19日開業、三重県伊賀市柘植町。
JR草津線のラッピング電車「SHONOBI-TRAIN」の運行開始を記念し、2017(平成29)年2月25日限りで販売。近年は草津線全線開通120周年を記念して2010年2月20日に、柘植駅構内の清掃活動などの地域行事に合わせて2016年4月10日に売られたという、かつての柘植駅弁の復刻版。
四角く平たい経木折に、白御飯を詰め、たくあんを添え、かまぼこ、伊達巻、煮豆、牛肉しぐれ煮、焼ブリ、エビフライ、 昆布巻、タケノコと高野豆腐、リンゴなどを詰める。柘植駅弁が現役であった頃の幕の内弁当を再現したそうな。昭和の頃の掛紙ともども、歴史を感じて味わうお弁当。
調製元の中村屋は、1890(明治23)年の駅の開業時から、この駅で駅弁や雑貨などを販売した。明治時代の柘植駅は、名古屋と大阪を結ぶ幹線鉄道が京都方面の路線を分岐する、旅客営業上の要衝であった。路線の形態は今も変わらないが、1907(明治40)年10月の関西鉄道の国有化で幹線鉄道の地位を東海道本線に奪われ、近鉄特急の発展で昭和時代に京都方面への連絡も絶え、寂れた。駅弁の販売も1980(昭和55)年頃に終えたようだが、調製元は今も駅前でおしゃれな喫茶店として健在であり、ごくまれにこのようなことをしてくれる。
1940年代、昭和15年前後のものと思われる、昔の柘植駅弁の掛紙。「総力戦 中の一人はこの俺だ」のキャッチフレーズと、1939(昭和14)年9月の価格等統制令に基づく価格停止品を示すマル停マークで、戦時のものであることがわかる。掛紙の絵柄も、鍬と槌と筆を「協力」の日の丸で結う、戦時だから農業も工業も新聞も協力しろというように見える。
記載された内容から、1928(昭和3)年のものと思われる、昔の奈良駅弁の掛紙。右上に記された「御大禮御日取」が、この年に京都などで行われた昭和天皇の即位の礼の日程であるため。雅楽に使う大太鼓(だだいこ)の絵柄がみえる。
1923(大正12)年9月不明日の調製と思われる、昔の柘植駅弁の掛紙。大正12年9月分として東京から供給された掛紙に、東京の化粧品とネクタイの広告と、神戸鉄道局の広報と路線図が載る。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の柘植駅弁の掛紙。名刺サイズほどの大きさしかない紙片に、商品名、価格、調製元、注意書きを記す。