紀勢自動車道の奥伊勢パーキングエリアで買えたお弁当。高速道路会社の「速弁」ではない。惣菜向けの黒いトレーに、酢飯を敷き、シイタケ煮を並べ、ガリを添えて、商品名のみをコピー用紙にインクジェット印刷した掛紙を巻く。調製元はパーキングエリアの運営会社となっているが、商品名と掛紙に記される「つる太郎」で検索すると、三重県多気郡大台町の国道42号沿いの食堂と、これと同じ名前と中身の商品が出てくる。
近鉄の津駅で見つけた、持ち帰り向け惣菜としての寿司。紙箱に入っているので、駅弁に見えなくもない。写真のとおり、惣菜として標準的なネタを載せたにぎり寿司などが入っていた。調製元は中京地区に寿司食堂や回転寿司や持ち帰り寿司店の店舗網を築く名古屋の水産商社。
津は三重県の県庁所在地であり、津駅は近鉄とJRと伊勢鉄道が乗り入れるターミナルである。国内で(あるいは世界で)最も短い地名や駅名でも知られる。しかし三重県内に限っても、津市は人口で四日市市に負け、駅の利用者数は近鉄でもJRでも県内1位でなく、観光地としても伊勢志摩や熊野古道に匹敵するものはない。駅弁もずいぶん前に消えている。「津々浦々」と言われるくらい日本全国に存在する地名あるいは施設名の一般名詞を名乗るくらい、重要な土地であったのだと思うのだが。
2013(平成25)年1月の阪神百貨店の駅弁大会で発売か。容器に巻き付けた掛紙に書かれるとおり、伊勢は神宮の第62回式年遷宮で賑わっており、これに伴い開発されたのだろう。デパ地下の惣菜容器に、あさりしぐれ、あなご天、えび天の天むすを2個ずつ詰める。軽い塩味の、お手頃でお手軽な軽食。宇治山田駅に加えて鳥羽駅でも売られたそうな。1年間ほどの販売か。
宇治山田駅は伊勢神宮の玄関口として、現在の近畿日本鉄道の前身である大阪電気軌道の子会社であった参宮急行電鉄が、ターミナル駅として巨大かつ荘厳な駅舎と高架橋を建てた。第二次大戦後も玄関口として君臨したが、1969(昭和44)年の鳥羽線の開業により終着駅でなくなり、車社会化や伊勢自動車道の開通、バブル経済以降の伊勢・志摩観光の停滞、中心市街地の衰退などにより、駅の利用者(定期券客を除く)は30年で3分の1に減った。それでもすべての近鉄特急が止まり、皇族や内閣のお伊勢まいりではここの貴賓室が使われるなど、駅としての地位の高さを守る。駅舎は2001(平成13)年に国の登録有形文化財となった。
伊勢神宮の内宮の最寄り駅である近鉄の五十鈴川駅で、弁当とともに台売りされていた商品。羊羹でも入っていそうなボール紙の容器の中に、真空パックの牛肉の太巻寿司が入る。カットされているのでそのまま食べられ駅弁代わりになり、一方で保存が利くのでお土産にも向くようで、パッケージに暖めるともっと美味い旨のコメントが付いている。私はそのまま食べたが、飯がパラパラで牛の風味が薄く感じられたため、暖めるのが正解のようだ。
現況は不詳だが、遠く静岡県で近鉄が経営する東名高速道路浜名湖サービスエリアで同種異名の商品を見たりしているので、駅売りに限らずどこかで取り扱われているかもしれない。
※2015年8月補訂:現況の推測を追記近鉄線の主要駅で販売されていた牛肉駅弁。折角の経木の容器に、トレーを入れてボール紙のふたをかけているのはもったいない。中身は白御飯に牛ステーキにフライドポテトという具合で、松阪駅の牛肉駅弁にそっくりだが、肝心の牛肉が固くて噛み切れず、こちらの弁当にはナイフの添付が欲しいところ。しかし、この地域の鉄道利用は近鉄がJRを圧倒しているので、これがあの松阪牛駅弁だと誤認して購入するお客さんは多いかもしれない。調製元が2008年度限りで駅弁から撤退したそうで、この駅弁は現存しない。
※2015年8月補訂:終売を追記これは駅弁ではなく、料理屋を持つ旅館が作る弁当で、高島屋横浜店の物産展で実演販売されたもの。黒い長方形の容器の中身は、かきの混ぜ御飯にカキフライが3個入る、価格や内容や分量で駅弁とウソをついても納得されるような内容。弁当名から製造販売者の物凄い自信を感じるが、出来立てでほんのり暖かかったことも加わり、確かにとても美味かった。
三重県の駅弁販売駅は松阪駅のみ。参宮線の駅にこのような駅弁があればと思い、当館に収蔵した。2004年冬の情報では、冬期の土休日に限り近鉄志摩磯部駅で販売されているとのこと。
2014(平成26)年10月7日から4週間、全国のローソンで販売。コンビニエンスストア大手のローソンが、同じく全国にチェーン展開する牛肉等惣菜屋の柿安本店が監修する、弁当、おにぎり、手巻寿司の3品を販売したもの。黒いスリーブに収めた長方形の容器に白飯を詰め、牛すき焼で覆い、玉子焼と漬物を添えるその姿は、まるで駅弁そのもの。駅売店も駅弁屋も開いていない朝の亀山で、列車に乗る前に車中食として、つまり駅弁と同じ目的で買った。駅弁とは何かを考える材料として、三重県内で買ったことと、柿安の発祥地が三重県桑名なので、三重県のページに収蔵。
記載された内容から、1928(昭和3)年のものと思われる、昔の津駅弁の掛紙。右上に記された「御大禮御日取」が、この年に京都などで行われた昭和天皇の即位の礼の日程であるため。雅楽に使う大太鼓(だだいこ)の絵柄がみえる。津駅では大正時代までには駅弁が売られるようになったが、早くも1960年頃にはなくなってしまった。亀山駅や伊勢市駅や柘植駅より早く、県庁所在地の駅から駅弁が消えたのは不思議。
入手状況から1992(平成4)年11月16日7時の調製と思われる、昔の近鉄の駅弁の掛紙の一部。近鉄の駅の売店や特急列車の車内販売で売られる弁当は、戦後昭和から2002(平成14)年まで、子会社の近鉄観光が手掛けていた。
昭和50年代頃のものと思われる、昔の近鉄の駅弁の掛紙。近鉄鳥羽線の鳥羽駅付近と思われる線路を走る、近鉄特急ビスタカーの写真を使う。
1984(昭和59)年12月23日の調製と思われる、グリル近鉄の弁当のふた。近鉄の東半分、愛知県内や三重県内のどこかで売られたと考えられる。調製は三重県内の宇治山田駅でも、絵柄は大阪。当時に路線長で国内最大の私鉄であった近畿日本鉄道では、子会社が駅弁を調製し、駅で販売していた。駅ごとに駅弁屋が異なることは、なかったようだ。
名古屋駅から関西本線の電車で約40分。四日市市は三重県の北部で伊勢湾に面した、人口約30万人の工業都市。江戸時代に東海道の宿場町ができ、回船が行き交う港町もできて交通や商業で発展、第二次大戦後に石油化学コンビナートの立地で臨海工業が栄え都市化する一方で、全国最悪級の大気汚染公害が起きたものの、人口は今でも三重県内で最も多い。駅弁は大正時代までに売られ始めたが第二次大戦中に消え、以後に売られることはなかった。1890(明治23)年12月25日開業、三重県四日市市本町。
第二次大戦前の調製と思われる、昔の四日市駅弁の掛紙。工業地帯として発展する前の伊勢湾岸を描いたと思われる。四日市は今も三重県で最大の人口を抱える拠点であるが、駅弁は第二次大戦の頃に消えてしまった。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の四日市駅弁の掛紙。四日市港と湯之山温泉場と鉄道路線図のイラストでできている。
名古屋駅から快速列車「みえ」で約1時間半。伊勢市は三重県の東部で伊勢湾に面した、人口約12万人の門前町(鳥居前町)。伊勢神宮に昔も今も年に数百万人の観光客や参拝客が訪れる神の町。駅弁は1897(明治30)年の開業時からの調製元が営業したが、1980年代に撤退か。1897(明治30)年11月11日開業、三重県伊勢市吹上一丁目。
1930年代のものと思われる、昔の山田駅弁の掛紙。山田駅は現在のJR参宮線の伊勢市駅。伊勢神宮の玄関口として、当時は大変に重要な駅であり、駅の開業とともに駅弁屋が進出した。掛紙に描く風景は当然に、伊勢神宮の神宮林でないかと思う。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の昔の山田駅弁の掛紙。山田駅は現在のJR参宮線の伊勢市駅。昔の松阪駅弁の掛紙。名刺サイズほどの大きさしかない、とても小さな紙片に、商品名と価格と調製元と注意書きを記す。
名古屋駅から特急列車「南紀」で約2時間40分。尾鷲市は三重県の南部で太平洋の熊野灘に面した、人口約1.5万人の港町。世界平均の倍は降る日本平均のさらに倍という、全国有数の多雨地帯であり、優れたヒノキを生み出す林業のまちでもある。駅弁は紀勢本線が全通した後の1960年代に売られたほか、尾鷲駅の駅弁を名乗る商品が時々出回る。1934(昭和9)年12月19日開業、三重県尾鷲市中村町。
腹から割いて強く酢で締めたさんまを、酢飯の上に置いて一口サイズにカット、これを細長い容器に詰めて、厚手な空色のビニール袋に収めて密封している。価格は安めで味はそれなりだが、サンマなのに3日間も日持ちがするのは不気味でもある。これはスーパーの駅弁催事で紀勢本線尾鷲駅弁として出ていたもの。同じ商品が販売されているかどうか分からないが、サンマの姿寿司そのものは尾鷲の名物として、現地では食堂や土産物店で取り扱われているそうな。
※2015年8月補訂:現況の推測を追記名古屋駅から関西本線でも近鉄電車でも約30分。桑名市は三重県の北端部で伊勢湾に面した、人口約14万人のベッドタウン。この木曽三川(きそさんせん、揖斐川と長良川と木曽川)の河口は、古くは海や川や陸の物流の拠点であり、交易や取引で商業が発達した。駅弁は1910年代に売られたほか、桑名名物の蛤(はまぐり)が売られたり亀山駅の駅弁に入ったりした。また、2020年に新築の橋上通路で開店した食堂が、駅弁を名乗る持ち帰り弁当を販売する。1895(明治28)年5月24日開業、三重県桑名市大字東方。
名古屋駅から特急列車「南紀」で3時間強。熊野市は三重県の南部で太平洋の熊野灘に面した、人口約1.5万人の港町。七里御浜の付近を除き険しい地形の様々が名所と紹介されたり、今は2004年登録の世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」が推される。駅弁は1960年代から2000年代まで、新宮駅と同じものが売られた。1940(昭和15)年8月8日開業、三重県熊野市井戸町。