掛川駅から天浜線(てんはません)の列車で約45分。2005年の合併で浜松市の一部となった二俣は、それまでは天竜市であり、静岡県の西部にて単独で市制を敷く城下町であった。天竜浜名湖鉄道の本社と車庫がある天竜二俣駅では、イベントの一環として駅弁が断続的に売られた後、2009年の夏頃から駅舎の売店での販売が定着した。1940(昭和15)年4月1日開業、静岡県浜松市天竜区二俣町阿蔵。
2017(平成29)年に天竜二俣駅で発売。この駅で売られる他の駅弁と同じく土休日の販売で、平日は4個以上の予約販売。平たい長方形の折箱に、稲荷寿司を3個、かんぴょうの細巻きを4本、うなぎ入りの太巻きを1切れ、玉子焼、鶏つくね串、かまぼこ、うぐいす豆を並べ、甘酢生姜の袋を添える。1953(昭和28)年創業のお寿司屋さんの助六と紹介される、古風な内容の助六寿司。調製元は鉄道会社の紹介で「スシトヨ」、包装紙では「すし豊」、食品表示では「ふたまた寿司豊」とある、二俣市街の寿司店「HARU SUSHITOYO」
2009(平成21)年の秋に発売。2010年代には土休日に一日10個の販売と紹介され、その後は土休日の販売で、平日は4個以上の予約販売。竹皮編みの柄をした、正八角形のボール紙製容器に、商品名などを書いた掛紙を巻く。黒いプラ製トレーの中身は、天竜産というマイタケの炊込飯、煮物類、天ぷら、肉団子、焼き魚、オレンジなど。御飯以外の中身は一定しないらしい。知名度も内容も風味も地味だけれども、とてもていねいに作られている感じがした。
ローカル線で企画した駅弁はたいてい、すぐ消える。あるいは最初から続ける意志がない。しかしここでは週末の販売が何年も続いているうえ、売り切れで買えなかったという個人ブログなどでの報告もよく目にする。駅弁が必要であったり売れるような駅や路線や列車にはとても見えないのに、ここではどういう人に駅弁が買われて、その存続が支えられているのだろうか。価格は2009年の発売時で950円、2020年時点で1,000円、2023年時点で1,200円。
※2024年11月補訂:写真を更新し値上げを追記上記の駅弁「舞茸弁当」の、2012(平成24)年時点での姿。おおむね同じ姿が維持されているといってよいだろう。この駅で駅弁を買ったという話はあまり聞かれなくても、ローカル線の駅で10年以上も駅弁の販売が続けられていることは、とてもすごいことだと思う。
「天竜どんこちらし」の冬季版として、またはおそらく2011(平成23)年1月の京王百貨店の駅弁大会での実演販売に向けて、2010(平成22)年11月20日に発売。天竜二俣駅では3月頃まで土休日に販売するとし、以後も同様に売られる模様。木目柄の容器に、表面に弁当名と天竜川の風景イラスト、裏面に沿線マップを印刷した正方形の掛紙をかける。
中身は茶飯の遠州での呼び名「さくら御飯」の上に、肉厚のシイタケを指す「どんこ」とウナギ蒲焼を2枚ずつ載せ、アサリやニンジンや錦糸卵で彩り、大根桜漬とわさび漬とゼリーを添えるもの。一言で表せば、うなぎ弁当。残念ながら今回のウナギはゴム草履で、しかし椎茸の出汁はそこそこ、アサリが意外にいい感じ。2018年までの販売か。
天竜浜名湖線はかつての国鉄二俣線。第二次大戦中の1935(昭和10)年から1940(昭和15)年にかけて、両端を東海道本線に接続する形で掛川駅から新所原駅までの全線が開業した。東海道本線の浜名湖付近が爆撃で不通になった際の迂回路として建設されたといい、実際に貨物列車の迂回運転が実施されたことがあると紹介されるが、その割には単線で勾配も曲線もきついという、当時日本一の高規格路線だった東海道本線と比べるまでもない、どう見ても規格の低い路線であり、本気でそんなことを考えていたのか個人的には疑問に思う。利用の低迷で1980(昭和55)年の国鉄再建法により特定地方交通線、つまり廃止対象線に選定されたため、1987(昭和62)年3月に静岡県や沿線の市町が出資する第3セクター鉄道へ転換された。
※2024年11月補訂:終売を追記上記の駅弁を、現地で買い求めたもの。茶飯の上にシイタケ煮4個、煮ホタテ3切れ1個分、アサリ数個、蝶々型のニンジンを置き、わさび漬けミニカップや2色のゼリーなどを添えていた。名前も中身も値段も、掛紙の絵柄も少し異なるが、雰囲気に変わりはない。2014年2月時点で土休日に一日10個の販売。2015年時点では3個以上での予約販売。
一年半前の掛紙で天竜川に描かれていた川下り舟が、ここでは帆掛船になっている。2011年8月17日(水)14時17分頃、静岡県浜松市天竜区二俣の天竜川で、第十一天竜丸(船頭2人、乗客21人)が岩場に乗り上げ転覆し、幼児を含む乗客4人と船頭1人が死亡、乗客5人が負傷した。事故の原因は船頭の操船ミスとされ、救命胴衣の非着用が人的被害発生の原因とされた。これを受けて、63年間続いていたという川下り舟は廃止、 鉄道会社では社長の引責辞任と常勤役員の増強を実施し、国土交通省は全国の川下り船事業者に対して安全運航の徹底を指示した。
この観光川下り舟は2003年から、地元の観光協会が第3セクターの交通事業者である天竜浜名湖鉄道に施設を貸与し運行を委託し、市と観光協会で赤字を補填することで存続させていた事業であった。天竜浜名湖鉄道ではチラシやホームページなどで川下りをアピール、本社と車庫がある天竜二股駅での乗船券の販売やマイクロバスでの送迎を実施するなど、ローカル鉄道との相乗効果が見えだした頃の事故と撤退であり、残念に見えた。駅弁に添えられる調製元のチラシにはまだ、天竜川舟下りの写真と文字が残されていた。