長野駅からしなの鉄道の電車で約1時間。小諸市は長野県の東部で千曲川が流れる、人口約4万人の城下町。1990年代の高速道路と新幹線の開通で、国道や在来線の時代の交通の拠点でなくなるも、島崎藤村、浅間山麓の温泉やスキー場、城下町や宿場町などで観光をアピール。駅弁は大正時代から菱屋が販売したが、2013(平成25)年までに駅で終売、2016年12月限りで廃業した。1888(明治21)年12月1日開業、長野県小諸市相生町。
東京駅から北陸新幹線あさま号で約80分。佐久市は長野県東部の東信(とうしん)地方の盆地に位置する、人口約10万人の市。水田や養鯉やいくつかの宿場町があったところに、1990年代に高速道路と新幹線が開通し、商工業地や住宅地が開発され、近隣の小諸から地域の拠点を奪い取った。駅の開業で小諸駅の駅弁屋が進出したが、約10年で撤退した。1997(平成9)年10月1日開業、長野県佐久市佐久平駅東。
2015(平成27)年の年末に発売か。2016(平成28)年のNHKの大河ドラマ「真田丸」に乗じた駅弁か。掛紙には、上田城と真田幸村と思われる騎馬の鹿角の武将と真田家の家紋「六文銭」を描く。中身はキノコと山菜とシソで3種のプチおむすびに、信州地鶏黄金シャモの醤油麹焼きと照焼き、信州ポークとエリンギの信州味噌風味、千曲川サーモン塩焼き、白土馬鈴薯のくるみ味噌焼、野菜や山菜や漬物など。
信州の様々な食材を、様々な姿の小料理にして、三角形を基本に配置。こういうのを御料理弁当というのだろう。たとえ真田幸村に思いを馳せなくても、旅で味わいたい駅弁。調製元の廃業により、2016年のJR東日本の駅弁キャンペーン「駅弁味の陣2016」で「彩賞」(見た目の評価が最も高かった駅弁)を獲得した同月の、2016年12月30日限りで終売となった。
※2016年12月補訂:終売を追記1980年代に小諸駅で発売か。駅弁というよりむしろ、調製元の食堂や仕出しで人気のメニューである。掛紙は近年にこのピンク一色のものに替わった。ワラビやシメジやニンジンを混ぜた栗おこわに、ニンジンとゴボウのマヨネーズ和え、山くらげ、柴漬けと大根漬を添える。付合せの内容は一定しない模様。
調製元は国鉄時代からの小諸駅の公式な駅弁屋で、過去には長野新幹線の頃の佐久平駅でも駅弁を販売していたが、訪問時には両駅から撤退、駅弁は上田駅のJR子会社の観光売店で売られるようになり、JR東日本の駅弁キャンペーン「駅弁味の陣2015」でも上田駅弁と紹介していた。
今も小諸駅前の調製元に「駅弁」の看板も掲げるが、弁当の販売はなく、駅弁は事前の予約か、この「栗おこわ弁当」を注文するかとなる。5分で出てきたアッツアツの栗おこわは、もちろん普段の冷めたり冷ました駅弁の味ではないが、これはこれでおいしいお弁当であった。調製元の廃業により、2016年12月30日限りで終売となった。
※2017年1月補訂:終売を追記1989(平成元)年8月11日11時の調製と思われる、昔の小諸駅弁の掛紙。中身は上記の駅弁「栗おこわ弁当」と、同じだったのだろう。この調製元の栗おこわにはファンが付いていて、駅の立ち食いそば店でも惣菜として売られた。
若者向けの駅弁として、1983(昭和58)年10月に小諸駅で発売。白御飯の上にシラタキを軽く載せて牛肉煮で覆い、ゆで卵、ポテトサラダ、枝豆、ミニトマト、レタス、柴漬け、大根漬などを添える。見た目は牛丼と生野菜サラダ。佃煮になりかけたような濃い赤身の牛肉煮にも、まるで生野菜サラダに見える付合せにも、独特である印象を持つ。肉は筋なく、ほどほどに柔らかく、すき焼きという感じはあまりしない。調製元の廃業により、2016年12月30日限りで終売となった。
上記の駅弁「信州牛のすきやき弁当」の、2015(平成27)年11月時点での姿。中身や味や値段は変わらないが、当時の容器はボール紙製だった。紙箱が掛紙に戻ることは珍しい。いずれにせよ、今は買うことができない。
※2019年3月補訂:新版の収蔵で解説文を変更コスモス畑の写真を載せたボール紙の長方形パッケージに、区画の多い真っ赤なプラスティックのトレーを入れる。中身は花型の栗おこわと俵型御飯に、佐久鯉の唐揚げ甘酢かけ、信州味噌の茄子田楽、山菜の天ぷらや切り干し大根に地鶏照焼など。メインの鯉は衣にしか感じられず、パッケージに「松花堂風」と記載しながら中身のどこが松花堂なのか疑問なものの、それを見なければ幕の内ユースな駅弁として風味と雰囲気のよい内容。揚げ物に塩を別添するなど、弁当ではなく料理を提供する姿勢を感じる。価格は購入時で1,000円、2015年時点で1,080円。
佐久平駅は長野新幹線の開業に伴い、小海線の中佐都駅と岩村田駅との間に新たに設けられた、例えば新横浜駅や燕三条駅タイプの新設駅。新幹線が地平を走るため、小海線は高架に上げられた。
なお、現在の佐久平駅や上田駅には、駅弁はない模様。しなの鉄道の小諸駅やその駅前では駅弁が買え、予約により新幹線の駅まで届けてもらえるサービスが実施されたらしい。調製元の廃業により、2016年12月30日限りで終売となった。
※2017年1月補訂:終売を追記過去には小諸駅の、当時には佐久平駅の、会席風弁当。朱色のトレーを入れた専用のボール紙製パッケージには、古写真から起こした明治中期頃の上田城のイラストを描く。中身は円筒状の白御飯ときのこ御飯が6個に、信州牛しぐれ煮、地鶏照焼、鮒甘露煮、山菜と杏の天ぷら、金時芋など、地元の食材を多く詰めたという。価格は2005年の購入時で1,000円、2015年時点で1,080円。調製元の廃業により、2016年12月30日限りで終売となった。
裏ぶたには真田家で武田信玄に仕えた幸隆、その息子で上田城を築いた昌幸、その息子で関ヶ原の合戦で東西に分かれて戦った幸村と伸之に関する概略が記される。江戸時代には伸之が松代藩主となり、明治時代まで十代十万石の藩政が続いた。
※2017年1月補訂:終売を追記2006(平成18)年8月10日に発売。細長い容器に、中身に加えて割りばしとお品書きも詰めて、商品名や絵柄を印刷したフタと掛紙を兼ねるボール紙をかけて、セロハンテープで留める。中身は5個の大きめなおいなりさんと、そば唐揚と甘酢生姜。これを笹の葉の上に載せている。
食品になじみにくそうな駅弁の名前は、長野県佐久市に実在する稲荷神社から採ったもの。諸説がある日本五大稲荷のうち、長野県佐久市の観光協会が挙げる5箇所の、愛知県豊川のひじき、京都府伏見のしば漬け、佐賀県祐徳の海苔、茨城県笠間のくるみ、長野県佐久市鼻顔の鯉唐揚が、それぞれ中身になった。風味も内容も価格も外観もコンセプトも満点で、購入者からの評価は高かったが、調製元の食品事業撤退により、2007年1月までに失われた。
国内で残るのはここだけではないかと思われる、コイの押寿司の駅弁。鯉4個と鮭2個のバッテラで1本分の棒寿司となり、これをコンパクトで細長い容器に詰めてボール紙の筒に収め、駅弁の名前と佐久鯉に関する文章を書いた掛紙を巻く。特段の感想のない風味だが、逆にえぐみも臭みもない普通の押寿司にできたことこそが最大の特徴だと思う。2005年までの販売か。
※2015年9月補訂:終売を追記1964(昭和39)年に小諸駅で発売し、1997(平成9)年10月の長野新幹線の開業とともに駅弁屋ごと佐久平駅へ引っ越した駅弁。フタに島崎藤村の筆による「旅情」の字を描いた丸い陶製容器を使用、きのこの炊き込み御飯を様々な山菜と鶏照焼や錦糸卵で覆う。島崎藤村が1899(明治32)年に小諸に教師として赴任したことにちなんだ駅弁とのこと。これがリニューアル前の内容。
ところがおそらく今世紀に入ってからのリニューアルにより、写真のような容器が味気ないプラ製に変えられるとともに「旅情」の文字を消してしまった。掛紙の意匠と中身は変わらないものの、風情はまるでなく、旅の風味も失われた。戦前の名小説家である島崎藤村も、没後すでに暦が還り知名度が薄れつつある感じで、そんな状況がここにも顕れたのか。この駅弁は2006年頃までの販売か。
※2015年9月補訂:終売を追記2002(平成14)年10月に発売した、佐久平駅と上田駅の大人の休日駅弁。トレー入り紙箱にわざわざ掛紙をかけて駅弁らしさを演出する嬉しい仕様。中身は長野特産「信濃雪鱒」の押寿司、佐久名物「佐久鯉」の甘酢あんかけ、信州産紅鱒の西京漬、その他山菜、鶏肉、花豆、野菜から香の物まで信州産を使用、御飯だけは新潟産のコシヒカリ。無着色、無添加の天然素材の仕様もうたい文句である。2005年頃までの販売か。
山梨県の小淵沢駅では駅弁の名前にもなっているシナノユキマスは、北欧原産のホワイトフィッシュの仲間を長野県水産試験場佐久支場が1975年に当時のチェコスロバキアから卵で持ち込み、約10年をかけて養殖技術を確立したもの。命名は当時の長野県知事、つまり2000(平成12)年の県知事選挙で三代41年連続の副知事経験者として指名した後継者が作家の田中康夫氏に敗れてしまった吉村午良氏とされる。県庁を頂点とする政官業のトライアングルに県民がノーの評価を下したと大変な話題になった。
その敗戦の一因とされる、公共事業により莫大な県債務を積み上げた最大の要因が、1998(平成10)年に開催された長野五輪で、それに合わせて開業したのが長野新幹線(公式な路線名称は北陸新幹線)。五輪がなければ運輸省の原案どおり、軽井沢駅から長野駅までは山形新幹線のような在来線改良の「スーパー特急」として開業していた可能性が高い。すると現在の佐久平駅は一面の田園のままで、この駅弁は小諸駅弁として出ていたか、出ていなかったか。
※2015年9月補訂:終売を追記弁当箱には見えない厚手で光沢のある菓子折のようなボール紙を容器に使用し、その中に木目調のトレーを入れる。中身は梅干しが隅にいる白御飯に、信州りんごで作ったデミグラスソースが衣に染み込んだカツがひとくちサイズで3個入る。また、他にはポテトサラダやスパゲッティが添えられる洋風な面と、煮物に漬物が入る和風な面の両方を持つ。
調製元はもともと信越本線の小諸駅の駅弁屋であったが、1997(平成9)年10月の長野新幹線の開業で小諸駅に特急が来なくなったため、本社は小諸のままで駅弁販売の拠点を新幹線駅に移した。その後は佐久平駅の新幹線改札内、上田駅の改札内外に弁当売店を構えていたが、2006年3月限りで撤退し、しなの鉄道に変わった小諸駅の駅弁屋に戻った模様。この駅弁は2008年頃までの販売か。
※2015年9月補訂:終売を追記1980年代に小諸駅で発売か。浅間山と小諸城三の門を描いた墨絵を印刷する細長いボール紙製パッケージ。中には容器がふたつ入り、ひとつにワラビやゼンマイが載った山菜すし、もうひとつが炊き込み御飯風の栗おこわに煮物などのおかずのセット。道中ふたりで食べられるようにと、割り箸が2膳付く。2009年までの販売か。
※2015年9月補訂:終売を追記1950年代、昭和30年前後のものと思われる、昔の小諸駅弁の掛紙。かつての小諸城、現在の懐古園にある三之門を描く。この懐古園と、藤村詩碑、布引山、浅間山を名所に挙げる。