2011(平成23)年に上高地のホテルとバスターミナルで発売。鉄道のない上高地で駅の役割を果たすバスターミナルで売られる、駅弁のようなお弁当。上高地の河童橋の風景を描いた掛紙を巻く竹皮製の容器に、くるみのおにぎり、かっぱ巻き2個、サーモン粕漬焼、山賊焼(鶏唐揚)、豚味噌焼、レンコンやタケノコやシイタケなどの煮物、アンズ甘煮など。肉類をしっかり詰めて、信州をしっかり入れた、山のおべんとう。
焼岳の噴火活動で梓川をせき止めた標高約1500mの平野である上高地は、登山家や作家に紹介されることで国際的な山岳観光地となり、1928(昭和3)年3月には国の名勝及び天然記念物に指定された。自動車の排気ガスによる環境破壊の拡大防止を主目的に、1975(昭和50)年に夏季30日間のマイカー規制を開始、その後に規制期間は漸増し1996(平成8)年までに通年規制となり、さらに2004(平成16)年には30日間の観光バス規制も始まる、国内では稀な環境目的での交通規制でも知られる。観光客は必ず路線バスに乗り換えて訪れることとなり、バス会社に運賃収入をもたらす。
観光可能な半年間で約120〜150万人もの数となる、自動車の規制必要になるほど多くの客が訪れる観光地には、古くから鉄道を敷設する構想が存在した。1990年代には山岳鉄道の敷設を目指し、本気の設計が起こされた。しかしバブル崩壊の経済情勢に加え、環境破壊を指摘する様々な反対活動により、今ではすっかり立ち消えた。一方で道路は、大型観光バスにとってはまだまだ隘路ではあるが、改良のための橋やトンネルの建設工事が絶え間ない。鉄道は駄目で道路はよい、もう少し詳しく表現すると、鉄道の整備は環境を破壊するし無駄だから許されないが、道路の整備は有益なので環境に配慮すればOKという、まるで道路至上主義や自動車原理主義と呼びたくなる、交通に関する日本独自とも思える思想の根強さが、この国の特別名勝でも表れている。
京王百貨店の駅弁大会で、長野県・信州「中仙道」望月宿のものとして、お客さんを集めていた実演販売の釜飯。どうやら、現地での販売が存在しない、催事専用のお弁当である模様。器もふたも陶製の釜飯容器の中に茶飯を入れ、椎茸や竹の子やぜんまいやうずら卵に牛肉を載せたもの。
見た目は横川駅弁「峠の釜めし」などの釜飯駅弁と同じであるものの、釜に御飯を詰めるのではなく釜自体で御飯を炊く製法なので、おこげや水気のある風味豊かな御飯が、冷たくなると不味そうだが、暖かいうちは駅弁を凌ぐ良い味を出していた。
豊橋駅から特急伊那路で約2時間半、岡谷駅から普通列車で約2時間半。飯田市は長野県の南部で伊那谷に位置する、人口約9.6万人の城下町。伊那地方の中心地であり、内陸工業都市でもあり、中央道で東京や名古屋と結ばれる。駅弁は昭和50年代までに飯田線の主要駅や列車内で売られたが、2006年1月限りで終売。1923(大正12)年8月3日開業、長野県飯田市上飯田。
1980(昭和55)年3月18日の調製と思われる、昔の飯田駅弁の掛紙。伊那谷から見た日本アルプスの山々の写真がフチなしで大きく掲載される。この名前の幕の内駅弁は、背景の写真を変えながら長らく、飯田線沿線の主要駅に加えて普通列車の車内販売でも売られていたが、2006年1月限りで終売となった。