東京駅から新幹線で約2時間半。金沢市は石川県の中央に位置する、人口約46万人の城下町。江戸時代に加賀藩の城下町として大いに栄え、街並みや郷土料理で観光客を魅了する。駅弁は国鉄時代からの駅弁屋である大友楼のものや、北陸地方各地のものが売店に並ぶ。1898(明治31)年4月1日開業、石川県金沢市木ノ新保7番丁。
大阪駅と札幌駅を結ぶ寝台特急列車「トワイライトエクスプレス」の運行が開始された、1989(平成元)年に発売。当時は全国最高額の駅弁。栃木県の東武日光駅弁「日光埋蔵金弁当」が、2024年6月までに販売を終えたことから、再び日本一高い駅弁となった。購入には3日前まで3個以上での予約が必要であることから、実質的に3万円の駅弁。一方でこの値段は30年以上変わらず、消費増税においても据え置かれている。
引き出しの付いた二段重ねの容器を使う。ふたを開けると現れる上段には、鰻巻・平目昆布〆・蒸し雲丹・車海老うま煮・どじょう蒲焼などが入り、引き出し状の下段はふたつに分かれ、季節の魚を使用したちらしずしや細巻と、加賀名物の冶部煮が入る。駅弁の名前の由来は、野外の茶会「野立て」から。その内容はまるでおせち料理で、分量も1人前ではない。加賀藩に仕えた料亭の実力が感じられるはず。
豪華志向の寝台特急列車「トワイライトエクスプレス」の定員制ディナーにありつけないお客様のために、JR西日本がかつて加賀藩の御料理所を預かっていた調製元に依頼して、作られたものだという。そのため発売当初は、同列車の乗客のみを対象にした予約販売を行っていた。5,000円の「加賀大名弁当」も、同じように売られた。列車は2015年3月に廃止されたが、この駅弁は引き続き予約によりで購入できる。
※2024年9月補訂:全国最高額を追記2024(令和6)年3月16日の北陸新幹線の金沢駅から敦賀駅までの延伸開業日に発売。富山駅弁の源と、金沢駅弁の大友楼と、加賀温泉駅弁の高野商店と、福井駅弁の番匠本店と、敦賀駅弁の塩荘が、神奈川県の横浜駅弁の崎陽軒とコラボレーションして新たな北陸の駅弁について企画開発を進め、同じ名前と容器と価格を持ち、ふたやスリーブの絵柄と中身が異なる駅弁を、合わせてまとめて発売した。各社各駅の直営店に加え、延伸区間の主要駅のJR西日本系列の売店でも販売。金沢駅と敦賀駅では5社分の全種類を販売し、この開業日には敦賀駅で敦賀駅以外の4個を買えた。
掛紙では路線図の置き方とアイコンを共通に、ひがし茶屋街と兼六園と金沢駅の写真をデザインした。中身はカニ身を載せた五目御飯に、治部煮、玉子焼、焼き魚、きんぴらごぼう、鶏唐揚、「北陸シウマイ」3個、こんにゃく餅など。北陸シウマイには福井県のふくいサーモン、石川県のいしる、富山県の白えび、崎陽軒の帆立出汁を使ったという。駅弁の名前や共通の食材に違い、シウマイが主役でなく脇役に感じた、幕の内弁当タイプの駅弁。新幹線敦賀開業の駅弁では最も注目された商品群に見え、日を分けて全種類を買い集めた客も少なくなかった模様。
滋賀県の米原駅と新潟県の直江津駅を結んだ北陸本線は、感覚的には東海道本線に次ぐ駅弁街道であり、平成時代になっても国鉄時代からの駅弁屋が健在で、沿線で駅弁が旺盛に売られた。各駅で駅弁屋が直営する売店に加え、沿線の各社が共同で設立した車内販売会社が、やはり駅に売店を構え各社の駅弁を山と積んで販売したり、特急列車の車内で駅弁を満載したワゴンを回したりした。新幹線が2015年に金沢駅へ来て2024年に敦賀駅まで延びた頃には、駅弁は主に改札外の駅商業施設やJR系列のチェーン店舗で売られる商品になり、駅弁売店や車内販売が減り、車内販売会社は清算され、新幹線が開業した区間から特急列車や北陸本線がなくなってしまった。それでも新幹線の主な停車駅では、こうして駅弁を難なく買うことができ、東京や大阪や秋冬の百貨店催事場でも北陸地方の駅弁を見ることができる。
金沢駅の商業施設に入居する駅弁屋の店舗で購入。正方形の折箱を二段に重ね、調製元の名と商品名を書いた掛紙を巻く。中身は下段に花形の日の丸御飯に鮭の押寿し、胡瓜と蓮根の梅肉和え、和菓子、上段に玉子巻、能登牛の時雨煮、鶏しんじょう、ゴロゴロ野菜黒酢餡がけ、ヒレカツ、煮物など。惣菜向けのプラ製トレーの詰合せであるけれど、中身は駅弁より仕出し弁当よりも高級に思える御料理。
金沢駅の商業施設に入居する駅弁屋の店舗で購入。正八角形の容器に酢飯を詰め、とりそぼろと錦糸卵で覆い、えびや花れんこんなどで彩り、揚げ物と煮物のおかずを添える。この日のこの店舗では最も安価な弁当であり、簡易版かお買い得な商品なのだろう。容器に掛紙をかけてひもでしばる姿は、昔ながらの駅弁にみえる。
2015(平成27)年までに金沢駅や北陸新幹線の車内販売で発売か。金沢駅でなく加賀温泉駅の駅弁のような、派手なデザインで商品名とカニと牛を描く黒い紙箱に、正方形のプラ製トレーを3個収める。中身は右側が「日本海かにめし」で、カニの五目飯にカニのほぐし身と錦糸卵ときぬさやの刻みを載せるもの。左側が能登牛しぐれ丼で、白飯を牛肉煮で覆い、グリーンピースと紅生姜を添えるもの。中央が揚げボール、信田巻、笹蒲鉾、たけのこ、ふき、れんこん、お麩の煮物。催事場への輸送駅弁のような派手な見栄えに違い、食べれば風味はおしとやか。中身はカニと牛肉でも、幕の内弁当のように使えると思う。価格は2020年時点で1,150円、2022年時点で1,250円、9月から1,350円。
金沢駅の駅弁屋の売店で見つけたお弁当。2021(令和3)年の春までに発売か。この「ちょい弁当」あるいは「choiceシリーズ」は、何種類かの価格と中身がある模様。今回買えたものは、食品表示ラベルに商品名「ちょい弁 エビマヨ」とあり、3区画の中身は右からサトイモやタケノコなどの煮物に揚ボール、鶏五目御飯、エビマヨネーズと生麩煮。高級なお惣菜やデパ地下の弁当のようなものか。
2015年3月に北陸新幹線が開業して以来、金沢駅の駅弁は品切れか満員行列かで、なかなか買うことができなくなった。金沢駅の開業と同時に駅弁を売り始めた調製元の店舗が、駅の商業施設「あんと百番街」内と新幹線ホーム上にあり、そこでならなんとか買える。
2009(平成21)年頃か、それ以前の発売か。二段重ねの容器の下段に五目飯の錦糸卵とカニほぐし身載せ、上段に海老天、玉子焼、タケノコなどの煮物、プチ焼鮭、治部煮などを収める。デパ地下で買える高級弁当のような、淡く柔らかい味を備えていたと思う。掛紙の意匠と容器が、既存の駅弁「加賀の四季」とほぼ同じであるものの、中身が異なり、併売されている模様。価格は2018年時点で1,080円、2020年の購入時で1,150円、2023年時点で1,200円。
※2023年12月補訂:値上げを追記2020(令和2)年の発売かどうか。正方形の9区画に紙帯の掛紙を巻くが、ふたが透明で中身の一部が見える、デパ地下のような商業施設で買えるタイプの弁当に見える。現物に食品表示がなかったので、製造場所で販売されるもの、つまりデパ地下弁当なのだろうが、国鉄時代からの公式な金沢駅の駅弁屋が調製し、駅で買えた弁当なので、駅弁と感じられるものである。
中身はマスのバッテラ、花形の日の丸御飯、花形の五目で三種の御飯に、タケノコなどの煮物、焼き魚、治部煮、玉子焼やアサリ、とんかつ、貝のような和え物と甘味。味でも駅弁というよりはむしろ、デパ地下弁当タイプの上品さと淡い味を備えていた。価格は2020年の購入時で1,200円、2023年時点で1,404円。
※2023年12月補訂:値上げを追記金沢駅で幕の内タイプと紹介される駅弁のひとつ。正方形で二段重ねの容器を使用、購入時期が秋だからか紅葉が描かれる正方形の掛紙で包み、金色のひもで十字にしばる。中身は下段が御飯で、ひょうたん型の白飯と花形の茶飯、上段がおかずで鶏肉の治部煮、玉子巻、海老天、焼き鮭、肉団子、シュウマイ、高野豆腐やシイタケなどの煮物、ミニトマト、ミニ大福もちなど。
中身は駅弁の名前のとおり、特に御飯の部分について、四季で変えている模様。安っぽい容器が惜しいが、内容と型取りと盛り付けには加賀藩の御膳所を勤めた料亭の実力の片鱗がうかがえる。駅弁大会ではなく百貨店の物産展に出品される点でも、その評価の方向性が認められるのではと思う。価格は2009年の購入時で1,000円、2014年時点で1,050円、2020年時点で1,200円、2022年時点で1,300円。
金沢は江戸時代に加賀藩の城下町として発展し、明治初期まで現在の首都圏と京阪神に次ぐ人口を誇ったが、その後は都市としての相対的地位が低下する一方で、今では本州日本海側最大の都市を新潟に奪われる始末。プライドの高さで平成の大合併に失敗したからだという陰口も聞かれるが、むしろそんなことまでして外見を繕う必要はないだろうという貫禄と余裕を私見で感じる。その証拠のひとつに、市内一の繁華街である香林坊の賑やかさと便利さは、新潟その他の本州日本海の諸都市を寄せ付けない。
※2023年12月補訂:値上げを追記金沢城下の古地図を転記する絵柄は昭和の頃から変わらない専用紙箱を使用、中身は日の丸御飯、鮭押し寿司、五目御飯、鶏の治部煮、焼ブリと昆布巻、信田巻やタケノコやニンジンなどの煮物、花五目巻玉子と鶏つくね串、一口カツとミニトマトとイカフリッター、中華山葵イカと和菓子の9区画。過去には下記のとおりの幕の内駅弁だったが、ここでは幕の内弁当の機能を持つおつまみ弁当。
今回は、2023(令和5)年11月16日に金沢駅で発売された、日本鉄道構内営業中央会の「駅弁マーク」制定35周年を記念し、会員のうち29社が主に11月10日から期間限定で販売した31種類の記念駅弁のうち、金沢駅の駅弁屋のものだったはずが、他駅の駅弁のようなしおりや大きな駅弁マークがなく、むしろ過去のふたにあった駅弁マークが消えていた。11月16日から当分の間販売すると発表されたが、昭和時代から将来まで売り続ける定番の駅弁である。
価格は2007年時点で900円、2010年時点で1,000円、2014年時点で1,050円、2018年時点で1,100円、2020年時点で1,250円、2022年時点で1,350円。
※2023年12月補訂:写真を更新し値上げと駅弁マーク35周年を追記2007(平成19)年10月8日に購入した、金沢駅弁のふた。上記の2023年のものと、絵柄は変わらない。こちらには駅弁マークやバーコードや調製元のロゴマークがあり、ふたの構造もやや簡素で、むしろこちらのほうが新しく見える。日の丸御飯にエビフライ、トンカツ、ソーセージ、焼鮭、だし巻き玉子、ミニ海老、イカフライ、治部煮などの中身は幕の内弁当の姿であり、2023年のものとは違う雰囲気。
何を描いたのか分からない、専用の厚紙製の容器を、金色のひもで十字にしばる。中身は白いふたつのトレーに入り、ひとつは御飯と牛肉、もうひとつはイカ中華和えと付け合わせと大福というシンプルな構成。神戸駅「肉めし」と同じ方向性を感じる、タレに頼らずほのかにスパイスが香る柔らか牛ステーキが印象的。しかし添付の醤油ダレを全部かけたら風味がすべて消えたため、かけないか数滴垂らす程度が正解だったのだろう。特製の名に値する、無名の牛肉駅弁。価格は2005年の購入時で1,000円、2010年時点で1,100円、2014年時点で1,150円、2020年時点で1,250円、2021年時点で1,350円、2022年時点で1,380円。
※2023年12月補訂:値上げを追記2002(平成14)年のNHK大河ドラマ「利家とまつ」の放送決定を受けて、2001(平成13)年の春頃に発売。福岡県の折尾駅の駅弁「大名道中駕籠」などと同じ形の、ボール紙製の駕籠型二段重ね容器を使う。中身は下段にひょうたん型日の丸御飯など、上段に治部煮や蓮根挽肉挟揚や鰻蒲焼など。その内容は加賀藩前田家の宴席献立を参考にしたという。容器はこの駅弁の名前「利家御膳」を追加した専用品だが、担ぎ棒に仕込んだ割りばしも袋に駅弁の名前を記す専用品であることに注目したい。
駅弁屋の顔も持つ調製元は、かつて加賀藩の御膳所を務めていた老舗の料亭であるため、毎年どこかで誕生する大河ドラマ便乗駅弁にない深い関係を持つ。2004年度JR西日本「駅弁の達人」対象駅弁。価格は同年の購入時で1,000円、2014年時点で1,050円、2020年時点で1,200円、2022年時点で1,300円。
※2023年12月補訂:写真を更新し値上げを追記2004(平成16)年7月26日に購入した、金沢駅弁の紙箱。上記の2023年のものと比べて、価格以外は何も変わらない。1990年代に全国各地の駅弁で使われたこの駕籠型の紙箱は、金沢駅では「利家御膳」の文字を入れたオリジナル。
笹の葉の色をした紙箱に、本物の笹で具と飯を縦横に巻いた、北陸タイプの正方形の笹寿司を、袋詰めして5個折り重ねる。紙帯に記された中身は「炙り鰤」「天然紅鮭」「能登牛しぐれ」「炙り鯖」「国産穴子」とあり、それぞれの具が正方形の酢飯の板に貼り付いていた。手を汚さずには食べにくいので、列車内での食事には向かないかもしれないが、味も見た目もおしゃれな、お菓子か土産物のようにも見える弁当類。
調製元はこのような笹寿司を、1955(昭和30)年に発売したという。当時に家電のトップメーカーであった東京芝浦電気の、製品のショールームで電気炊飯器を販売していた創業者が、実演で炊いて余した御飯を使い、金沢の寿司をアレンジして販売、これが評判を呼び、1958年に「芝寿し」を創業して笹寿司店にしたとある。
酢飯の半分にタレを染み込ませて、煮穴子を貼り付けた棒寿司を1本、縦横にフィルムで巻いて袋に密封し、たれと生姜と割りばしとおしぼりを含めて紙箱に詰めて、スリーブに収める。味は柔らかくも普通の穴子寿司。細長いにも程があると思う、市販の太めの魚肉ソーセージをもう少し太くしたくらいの、スリムな形状が印象的。
調製元は金沢市内の笹寿司店。金沢駅の商店街ほか北陸3県にチェーン展開するほか、富山駅や小田原駅などの駅弁を常時販売する東京と神奈川のスーパーマーケット「ザ・ガーデン自由が丘」にも商品を卸すため、上野駅で駅弁として親しまれてきたかもしれない。芝寿しは日本鉄道構内営業中央会の会員であり、するとどこかのJR駅で構内営業の権利を持つはずで、駅弁マークを使う駅弁を販売できるが、駅弁を名乗らないし、商品が駅弁と紹介されることもほとんどない。
焼海苔を挟んだ酢飯に、ベニズワイガニの棒肉やほぐし身と錦糸卵を貼り付けた棒寿司を1本、フィルムで巻いて8切れにカットして、さらにフィルムで巻いて袋に密封し、醤油とわさびと生姜と割りばしとおしぼりを含めて紙箱に詰めて、スリーブに収める。マヨネーズを隠し味とする、見た目も味も今風のカニ棒寿司。細長いにも程があると思う、市販の太めの魚肉ソーセージをもう少し太くしたくらいの、スリムな形状が印象的。
下記の駅弁「加賀彩時記」のリニューアル品か。専用のボール紙箱に黒いトレーを詰める中身は、梅を載せた白御飯に焼鮭、笹蒲鉾、玉子焼、鶏肉の治部煮、海老やレンコンの天ぷら、つくね串、魚肉や椎茸などの煮物、きんぴらや桜漬など。ひとつひねったおかずの分量も種類も風味もいい感じ。金沢駅の上等幕の内駅弁というポジション及び風味と価格を維持し、見栄えを軽く、内容を重くした。価格は2008年の購入時で1,100円、2014年時点で1,150円。2015年または2017年頃までの販売か。
※2020年12月補訂:終売を追記金沢駅の上等幕の内弁当。兼六園を屏風絵のように描いた華やかなボール紙の容器を使う。中身は見栄えのしない白いトレーに入っているが、コシヒカリの日の丸御飯と五目飯の御飯物二種と、治部煮や筑前煮など金沢の味十三種類のおかずはうまい。有名駅弁屋がひしめく北陸本線の中では駅弁の影が薄い金沢駅の、ただでさえ影が薄くなる幕の内駅弁ということで、知名度は薄いが評判は良い。2004年度JR西日本「駅弁の達人」対象駅弁。
※2004年9月補訂:写真の掲載と解説文の一部改訂2004(平成16)年5月1日に発売。発泡材ながら大きさも絵柄も形状も立派な長方形の容器に、石川県を描いた華やかなデザインの掛紙をかけて金色のひもでしばる。珍しい柄物の透明なベールに覆われた中身は、北陸産コシヒカリの梅花型御飯に加賀温泉の温泉玉子や次部煮など、地元の食材と料理が入っている高級高額駅弁。
石川県内の温泉の開湯千年を記念したというが、県内には開湯千四百年と言われる辰口温泉や開湯千三百年と言われる粟津温泉などがあり、実際にはJR西日本の駅弁キャンペーン「駅弁の達人」の実施に伴い登場したとするのが正しそうだ。確実な入手には予約が無難。2004年度JR西日本「駅弁の達人」対象駅弁。2005年までの販売か。
※2015年9月補訂:終売を追記ボール紙で組み立てた笹の葉色の容器の中に無公害樹脂のトレーが入り、笹の葉に包まれた鯖と鱒の押し寿司が、紙帯を締めてビニールで個別に包まれた形で5個整然と入る。金沢駅の押し寿司駅弁らしい、やや固めの食感が特徴。緻密な酢飯に寸分違わぬ魚の身、和菓子折のように整然と並ぶ中身や丁寧な包装に、和と史を感じずにはいられない。パッケージに記される「特別調整品」の意味は不明。2004年度JR西日本「駅弁の達人」対象駅弁。価格は2003年の購入時で1,100円、2015年時点で1,150円。現存しないのではないかと思う。
※2017年10月補訂:終売を追記2004(平成16)年7月26日に購入した、金沢駅弁のパッケージ。当時のJR西日本の駅弁キャンペーン「駅弁の達人」のシールが貼られる以外は、容器も中身も価格も、上記の2003年のものと同じ。
1985(昭和60)年3月10日の調製と思われる、昔の金沢駅弁のパッケージ。昭和時代から二味笹すしが「特別調製品」だったことに驚く。構造は21世紀のものと異なり、富山駅弁ますのすしタイプ。
長持を模した紙箱の中に、ふた付きのトレーを入れる。中身は、あと少し押せば煎餅になりそうなほど固く締まった古代酢使用の酢飯の上に、紅鮭と小鯛で紅白をあしらった身を乗せる押し寿司。レモンの小片が添えられる。春秋の祭礼の際に御馳走として作られるという、加賀の伝統料理だそうな。価格は2002年の購入時で600円、2015年時点では650円。2015年頃までの販売か。
※2017年10月補訂:終売を追記有名駅弁に多用されるボール紙の立体パッケージの中に、密封されたトレーが入る。中身は固く締まった酢飯の上に細かいカニ身と牛そぼろが載るもの。お箸でそのまま食べられるが、プラのナイフも添付する。
金沢駅の駅弁は、同じ北陸本線の富山・加賀温泉・福井・敦賀の各駅の駅弁にに押されてか、どうか知名度が薄いと思う。しかし加賀藩政以来の伝統のなせる技か、とても繊細で芸術的な駅弁を創り出していると感じる。この駅弁もシンプルながら粒のひとつひとつにまで美しさが感じられるような、見た目も味も繊細な仕上がりが、もっと注目されてもいいと思う。2005年頃までの販売か。
※2015年9月補訂:終売を追記1987(昭和62)年8月6日12時の調製と思われる、昔の金沢駅弁の掛紙。この年の4月に国鉄は分割民営化され、下記の1983年8月の掛紙にあった「国鉄構内営業中央会会員」を省き、「金沢駅構内営業者」の前にJR西日本のロゴマークを加えた。
1983(昭和58)年8月15日15時の調製と思われる、昔の金沢駅弁の掛紙。この頃のほぼすべての駅弁掛紙には、国鉄の旅行キャンペーン「いい日旅立ち DISCOVER JAPAN 2」のロゴマークが印字されている。
1980(昭和55)年11月2日9時の調製と思われる、昔の金沢駅弁の掛紙。上記の1983年8月の掛紙と同じもので、絵柄は現行のものと変わらない。加賀鳶と金沢城下香林坊附近のイラストと金沢城下図でできた、大きな掛紙。
1979(昭和54)年6月17日15時の調製と思われる、昔の金沢駅弁の掛紙。下記の1978年12月のものと同じ絵柄で、こちらには国鉄の旅行キャンペーン「いい日旅立ち」のロゴマークがない。明暗が異なるのはスキャナのせい。兼六園と金沢城と城下町が、重層的なイメージで描かれる。
1978(昭和53)年12月25日11時の調製と思われる、昔の金沢駅弁の掛紙。金沢城や兼六園に金沢の城下町が描かれているのだろう。金銀の印刷が高級感を出している。
1960年代、昭和40年前後のものと思われる、昔の金沢駅弁の掛紙。尾山神社の神門と、兼六園の徽軫灯籠(ことじとうろう)を、なんとなく描いたように見える。
昭和30年代、1960年前後の、11月16日13時の調製と思われる、昔の金沢駅弁の掛紙。掛紙が簡単な観光案内になっていて、「百万石城下町観光の魅力」と、北陸鉄道金沢市内線の路面電車の路線図による金沢名所案内と、北陸本線と電車やバスの路線を模した温泉地案内がある。この頃までは金沢市内や石川県内の各地にあった電車は、市民や県民の歓迎と北陸鉄道の経営方針のもと、昭和時代にほとんど廃止されてしまった。東の富山市や富山県とは対照的。
1940年代、昭和15年前後のものと思われる、昔の金沢駅弁の掛紙。収集者は1941(昭和16)年10月12日の調製とみなし、掛紙に数字を書き入れた。兼六園の写真を使う、金沢らしい風景の掛紙だが、これに停止価格のマル停マークや、節米標語なるスローガンを加えて、戦時の掛紙となっている。
1922(大正11)年の調製と思われる、昔の金沢駅弁の掛紙。同年に上野公園で開催された平和記念東京博覧会で英国の皇太子殿下が来日されたことを記念して、全国各地の駅弁屋が同じデザインの記念掛紙を使用したもの。周囲に日本と英国の国旗を配し、右に駅弁の名前、左下に調製元、下部に日英の歓迎文、上部の2枠は広告枠。
第二次大戦前の調製と思われる、昔の金沢駅弁の掛紙。当時の駅弁掛紙には、駅弁の品物や販売員のサービスに気付く点があれば掛紙に書き記して鉄道係員に渡せ旨の注意書きが書かれていることが多いものの、普通は苦情などその場で口頭にて申し出ると思うし、書面にしたければ手紙を出すだろうから、果たして駅弁掛紙に書いて駅員や車掌に渡した人がいたのかどうか。
第二次大戦前の調製と思われる、昔の金沢駅弁の注意書き。当時の駅弁の写真や容器の実物はほとんど残されていないため、昔の駅弁容器の形状を示す貴重な紙だと思えるが、古物としての価値は駅弁掛紙より小さいそうな。