東京駅から新幹線で2時間強。糸魚川市は新潟県の西端で日本海に面する、人口約4万人の宿場町。セメント産業の都市であり、ヒスイ(翡翠)の産地として知られる。駅弁は国鉄時代からの駅弁屋が長らく営業していたが、2013年11月限りで閉店し、現在はない。1912(大正元)年12月16日開業、新潟県糸魚川市大町1丁目。
下記の駅弁「越後糸魚川笹すし」を、新幹線の開通前に現地で買ったもの。見た目と中身と味は同じだが、掛紙の商品名が少し違うことと、木箱でなく寿司折向けの竹皮柄なボール紙製容器を使うこと、値段が110円安いことが差異。いずれにせよ、キヨスクの消滅で駅では終売となった。商品自体も2020年3月の調製元の廃業により失われた。
※2020年4月補訂:現況を追記下記の駅弁「越後糸魚川笹すし」を、ちょっとリニューアル。名前を少し変えて、掛紙を巻いて、中身は鮭そぼろ・きゃらぶき・クルミ・紅しょうが・青しそ身・桜でんぶ・玉子の3本の笹寿司のうち1本の具を、シイタケ旨煮・ふきみそ・ミョウガ酢漬け・きゃらぶき・クルミに差し替えている。具をこれだけ変えても、味があまり変わらないのは不思議。
この商品は糸魚川駅のキヨスクで売られていたが、2015年3月の北陸新幹線の開通による駅舎の建て替えで駅から追い出され、以後は駅に隣接する観光センターで売られた。京王百貨店の駅弁大会に毎年来ていた。
※2015年9月補訂:駅での終売を追記2009(平成21)年の購入時の数年前から、越後湯沢駅や糸魚川駅の売店で販売されていた、糸魚川の郷土料理。とても小さな木製の押寿司容器をラップで包む。容器の中でさらにラップで包まれた中身は、笹の葉に酢飯を詰めて、卵、桜でんぶ、青シソの実の漬物、紅生姜、くるみ、キャラブキ、鮭そぼろをこの順番で貼り付けた、やはりとても小さな棒状笹寿司が3本入るもの。商品の解説と宣伝として、手書きのコピーがついていた。
見た目はかつての長野駅弁「川中島合戦笹ずし」や妙高高原駅「妙高の笹寿司」に似て、内容や風味は糸魚川駅弁の「田舎ずし」に似る。見た目や内容からあまりうまくなさそうに思い、しかし食べるとふんわり心地よく、こんなに分量が少ないのにずいぶん割高だなとも思うのも、糸魚川駅弁「田舎ずし」と共通している。地元の方には懐かしい味だそうで、2009(平成21)年1月の京王百貨店の駅弁大会への出品は新潟日報の新聞記事にもなった。通信販売対応商品。
2013(平成25)年9月20日の発売。長方形の容器にターメリックライスを詰め、豚肉の角煮としぐれ煮とそぼろ煮を混ぜたあんかけをかけて、フライドポテト、玉子焼、ミックスベジタブルを添える。高級キノコのトリュフが入っているのではなく、トリュフ入りの飼料で育てた新潟県の企業のブランド豚「トリュフ豚」を使ったお弁当。にゅるにゅるとして変わった豚丼駅弁だなと思ったら、調製元の閉店により2013年11月限りで終売となり、わずか72日間の販売で姿を消してしまった。
「駅弁図鑑 西日本版」によると2012(平成24)年2月23日の発売。ということは、京王百貨店の駅弁大会での輸送販売は先行販売か。いずれにせよ、糸魚川駅では今世紀あるいは平成に入って初めての新作駅弁ではないかと思う。真っ黒な長方形の容器に透明なふたをして、商品名の黒書きや中身のイメージ写真などを印刷した掛紙を巻く。
中身は白御飯の上に玉子焼をちりばめて、イカスミ入りのタレに漬けたという確かにどす黒いトンカツ4切れを折り重ね、ダイコン味噌漬を添えるもの。コンセプトとカツの味は癖があるなりにユニークで面白く気に入ったが、購入した品物は寒い中の輸送にしても御飯がひどくボロボロで不味く、これはもったいない限り。現地では3日前までの予約販売だと案内されている。調製元の閉店により2013年11月限りで終売となった。
※2014年4月補訂:終売を追記1987(昭和62)年2月に発売。とても小さなプラスティック製の釜飯容器をふたつ、その中身の写真を掲載したボール紙の箱に詰める。中身は緑色容器のほうが、だし御飯の上に松茸、栗、山菜、とりそぼろなど。橙色容器のほうが、同じ御飯の上に帆立、海老、カニカマ、きんぴらなど。風味はみたまんまで、松茸釜飯と海老釜飯が味をそのままに縮小できている。
2個に分かれているけれど、分量はひとりぶん。夫婦で仲良く分けて食べられるという紹介文がつきまとうが、実際はどうも、松茸が男性で貝が女性という意味も込められているそうな。駅弁ではあまり聞かれない、オトナの味。調製元の閉店により2013年11月限りで終売となった。
※2014年4月補訂:終売を追記1987(昭和62)年8月に従来の駅弁「笹寿司」をリニューアル。木目を印刷した段ボールの薄く広い長方形の紙箱を、中身写真と駅弁の名前を描いたボール紙の枠にはめる。中身は小判状の酢飯の上に様々な具を細々と置いて笹の葉に包んだものが8個、折り重なるように入るもの。この地方でお祭りの時に食べた郷土食を駅弁にしたそうな。
18種類もの具が入る割には派手さがまったくないため、4桁の価格に不満を持たれるかもしれないが、雰囲気と食べやすさは名駅弁の域にあってよいし、酢飯の風味を評価する声もある。通信販売対応商品で、注文書が同封されたほか、北陸各地の駅や特急列車での販売もあった。調製元の閉店により2013年11月限りで終売となった。
※2014年4月補訂:終売を追記糸魚川駅で唯一の幕の内駅弁。専用のボール紙箱には、茅葺き屋根と白馬連峰を描いた。白いプラ製トレーに入った中身は、ひとつが日の丸御飯、もうひとつがおかずで焼鮭、蒲鉾、玉子焼、つくね、帆立フライ、山菜、煮物各種など。価格と内容を見比べて、少し残念な意味で古めかしい、幕の内タイプの駅弁に感じた。北陸本線の特急列車の車内販売では、このような普通の幕の内弁当が他にあまりなかったようで、そこでは親しまれたものか。調製元の閉店により、2013年11月限りで終売となった。
※2014年4月補訂:終売を追記1964(昭和39)年に発売。海老が入った釜飯駅弁は珍しくないが、海老を名乗る釜飯駅弁は少ない。本体もふたもプラ製の釜飯向け容器に、エビでだしを取ったとする文献もある茶飯を詰め、殻付きのエビ2尾と、ホタテ煮、きんぴらごぼう、そぼろ、さつまいも、クリ、板紅生姜などで覆う。具は他の駅の釜飯駅弁と比べて、ちょっとユニーク。2004年度JR西日本「駅弁の達人」対象駅弁。調製元の閉店により2013年11月限りで終売となった。
※2014年4月補訂:終売を追記1987(昭和62)年か翌年の、9月18日16日の調製と思われる、昔の糸魚川駅弁の掛紙。日本鉄道構内営業中央会とあるので1987(昭和62)年4月の国鉄分割民営化の後で、1989(平成元)年4月の消費税の導入により価格が720円なる前のものか。上記の駅弁「えび釜めし」と、中身は変わらなかった模様。掛紙の絵柄は異なり、しかしその雰囲気はあまり変わらず、おそらく当時は焼き物の釜に木のふたをしたと思われる。
その商品の雰囲気から年季物だと思うが、過去の紹介や収穫報告が絶無な駅弁。上記の駅弁「えび釜めし」と同じく、本体もふたもプラ製の釜飯向け容器に、茶飯を詰め、ホタテ煮3個と、きんぴらごぼう、そぼろ、さつまいも、クリ、板紅生姜などで覆う。つまり「えび釜めし」のエビをそのままホタテに置き換えた感じ。味も同じに思えるが、殻付きのエビに苦戦しない分だけ食べやすく、風味も優れたと思う。あるいはこの茶飯の味付けは、ホタテに合うものか。調製元の閉店により、2013年11月限りで終売となった。
この駅弁を糸魚川駅で購入した日には、偶然にも駅前の市街地で「おまんた祭り」が開催されていた。スタッフが多いわりに観客がほとんどいない、大都会で道路を客が埋める祭りをよく見る目には閑散と映ったものの、そもそもお祭りとは地域の人々が地域のために営むものであり、参加者と運営者が分離された、観客は部外者ばかりの観光目的イベントに毒されすぎているのかもしれない。または夜の花火大会がメインイベントか。
※2014年4月補訂:終売を追記1977(昭和52)年頃のものと思われる、昔の糸魚川駅弁の掛紙。「大糸線より白馬岳を望む」という風景写真が使われる、昭和後期の駅弁掛紙らしい姿。調製元の大島商会弁当部は、従前の早川屋で、以後のたかせと同じものか。
1960年代のものと思われる、昔の糸魚川駅弁の掛紙。当時の北陸本線はこの掛紙に描かれるような、断崖絶壁を縫う非電化単線の細道であり、輸送力不足と土砂崩れや雪崩などの災害に悩まされてきた。昭和30年代に北陸トンネルその他の長大トンネルを何本も掘り抜き、現在の複線電化の大動脈に生まれ変わっている。
おそらく1950年代のものと思われる、昔の糸魚川駅弁の掛紙。価格から判断して紛れもない第二次大戦後の掛紙であるが、漢字は主に旧字体が使われている。