東京駅から新幹線はやぶさ号で約100分。仙台市は宮城県の中央に位置する、人口約110万人の城下町で県庁所在地。豊かな植生で杜の都(もりのみやこ)と呼ばれる、東北地方の首都として君臨する大都会。駅弁は明治時代から売られ、戦後昭和から平成時代に3社が競う日本一の激戦区であったが、JR東日本の子会社が駅弁売店を独占した2010年代からは活気がない。1887(明治20)年12月15日開業、宮城県仙台市青葉区中央1丁目。
2019(令和元)年9月18日の東京駅の駅弁売店「駅弁屋 祭」での「秋の新作駅弁フェア」で発売か。食品表示上の商品名は「みやぎサーモンと北限のしらす幕の内弁当」。長方形の容器の半分に、シラスをふりかけた日の丸御飯を横長に詰め、大きな焼鮭を詰め、玉子焼、赤かぶ漬、ナス漬、レンコンなどのきんぴらを添える。宮城が誇る養殖ギンザケ「みやぎサーモン」と、2017年にブランド展開を始めた名取市閖上(ゆりあげ)の「北限のしらす」が売り文句。駅弁の定番である幕の内を、密かにキラリと光る物に仕立てた。2022年に終売か。
※2023年4月補訂:終売を追記2011(平成23)年12月の東京駅での「東北新幹線全線開業1周年記念駅弁大会」でデビューか。長方形の容器の中に、「米どころ宮城」として梅干しと牛たんネギ塩焼を載せた宮城県大崎産ひとめぼれの白御飯、「宮城大地の幸」として牛すき焼やつくねなど、「宮城海の幸」としてサケ味噌漬焼やサンマ甘露煮など、「宮城里山の幸」としてホウレンソウ炒めやずんだもちなど。
駅弁の名前からは震災復興の色を感じるが、下記の駅弁「ありがとうの詩」と違い、中身からはそうでもない、宮城を満載しながら気負いや飾りのない、楽しいお食事。地元の駅弁屋と中央のJR子会社との差が出たのかもしれない。価格は2011年の発売時で1,050円、2013年の購当時で1,100円、ほどなく1,150円、2020年時点で1,250円。2020年までの販売か。
震災からは復旧ないし復興しつつあるのだろうが、仙台の駅弁は震災と関係なくNRE共同売店化で本当に沈滞してしまった。伯養軒とこばやしが隣同士や背面同士で競っていた頃では考えられない、週末の夕方にしてスカスカのショーケースやNREばかり10種程度の品揃え。最近に出現した「仙台名物牛たん駅弁屋」という小売店に、駅弁屋のものでない牛タン弁当が複数あり、そちらのほうが賑やかで賑わっておいしそうに見えた。
※2021年3月補訂:終売を追記2012年12月から2013年2月までの販売か。「30品目入り幕の内」の副題が掛紙とおしながきに記され、おしながきではキャベツから米まで「30種類のご紹介」と食材リストを掲げる。中身はカニとイクラと錦糸卵が載る茶飯に、サケ味噌漬、牛たん焼、ホタテ味噌漬焼、笹かまぼこ天、豚肉炒め、ワカメとホウレンソウ、ずんだ白玉団子など。幕の内弁当らしいところはどこにもないと思うが、味はうまい。
掛紙の写真は、SENDAI光のページェント。杜の都仙台のケヤキ並木に電線と60万個前後の電球を巻き付けて、12月に3週間ほど光らせて200万人以上の観光客を動員する。
下記の駅弁「宮城ろまん街道」の、2012(平成24)年時点での姿。名前と価格と容器こそ変わっていないものの、その他はまるで別の駅弁のように変わっていたから、過去に買っていた駅弁だとは気が付かなかった。鳴子の米を使ったことを表でも裏でも紹介する掛紙で、竹皮製の容器を包む。中身は鳴子産米「ゆきむすび」を使ったという梅干おにぎりと焼味噌おにぎり、串に刺さった鶏照焼とサトイモとカボチャ、コロッケ、玉子焼、レンコンとニンジンのきんぴら、長ナス漬、紅ダイコン漬など。おにぎりの具が苦手だったことを除き、味も姿も食べやすくいい感じ。価格は2012年の購入時で800円、2014年2月から850円。2020年までの販売か。
※2021年3月補訂:終売を追記おそらく1998(平成10)年5月から8月までのJRのディスティネーションキャンペーン「宮城ろまん街道」に伴い、同年に発売したものと思われる。竹皮製の長方形の容器に、宮城県指定有形民俗文化財「カマ神」を載せた薄紫色の掛紙をかけて、竹皮風針金でしばる。透明トレーに笹の葉を敷いて詰めた中身は、宮城産ひとめぼれの小梅御飯とくるみおこわを一個ずつ、牛たんに鶏香味焼、舞茸やレンコンの揚げ物、フナ甘露煮に里芋などの煮物など。
見た目も味も価格も良いし、折り重なるおかずはすべて串に刺さっていて、食べる作業が楽しくなるエンターテイメント系。なお、掛紙の献立表に書かれ、本来は白御飯に載るはずの伊豆沼産沼えびについて、不漁のため小梅に変更と案内する小片が付いていた。前年8月購入の仙台駅弁「とことん宮城弁当」でも同じ案内を見た。どうもブラックバスの密放流により、沼えびがほぼ駆逐されてしまったらしい。
河北新報の詩の募集企画とのタイアップにより、2011(平成23)年12月9日に仙台駅で発売。黒塗りの長方形の容器に、折り鶴や原稿用紙や詩を歌う短冊を描いたボール紙のふたをする。二つ折のしおりには、企画の説明、新聞で公募された詩、おしながきが記される。中身はグリーンピースと錦糸卵で彩る白御飯に、サンマ竜田揚、豚角煮、鶏照焼、シメジやニンジンなどの煮物と揚げかまぼこ、笹かまぼこ、サワラ焼、玉子焼など。肉も魚も入る割にはおとなしい感じを受ける、なんでもまるごと弁当。
今度の仙台駅弁は震災ネタをあまりにも直球でアピールする。新聞社が絡む新作駅弁なのでメディア受けも良い。個人ブログでも賞賛の声が聞かれる。震災の翌日から大々的な炊き出しを始めた調製元から出されるべき駅弁でもある。しかし東北には、宮城や福島などで労務者の人件費が高騰し、日銀短観(日本銀行の全国企業短期経済観測調査)でも東北地方のみで好景気が示されるとおり、復興の名においてすでに多額の国税が補助金や直轄事業などにじゃぶじゃぶ注ぎ込まれている。津波に洗われた土地でおかゆをすすっているときに、その後背地ですき焼きを食べている。2013年頃までの販売か。
2005(平成17)年10月1日に、仙台駅で発売。宮城県仙台都市圏の5市8町1村と山形県村山地域の7市7町が、2002年度から実施する仙台山形交流連携事業の一環として、2005年7月16日に宮城大学で実施された「仙山圏駅弁創作事業」にて、宮城大学事業構想学部事業計画学科と宮城学院女子大学学芸学部食品栄養学科の学生が提案した創作駅弁3種類の商品化。
竹皮を編んだ正八角形の容器に、駅弁の名前と宮城県と山形県と芭蕉と曾良を描いた掛紙を巻く。中身は紅花寿司こと紅花とクルミを付けた俵型酢飯が2個と、サケ柚子焼、玉子焼、そばの実なめこ和え、サトイモや玉こんにゃくなどの煮物、生麩の牛肉巻、カキとホタテのチーズ焼、笹かまぼこなど。松尾芭蕉が訪れた仙台・山形地域をイメージしたそうな。値は張るが、おかずの味と種類に事欠かないおつまみセット。
創作駅弁の他の2種類は、ウェルネス伯養軒の「仙台山形越境膳出逢い街道」と、日本レストランエンタプライズの「がんこおやじ」。当初は3か月間の期間限定販売を予定していたようだが、「がんこおやじ」を除く2品は2010年時点でも販売が続いた。2011年以降は販売されていない模様。
※2014年7月補訂:終売を追記仙台市と東京都武蔵野市を舞台にした、2004(平成16)年度の上半期のNHK連続テレビ小説「天花」の放送を記念して、同年の春までに発売。昔の仙台七夕の情景を描いた正方形の専用紙箱を使用、その裏ぶたには仙台のお祭りガイドが記される。
9区画のプラ製トレーに収まる中身は、日の丸ご飯にひじきご飯に桜花付き錦糸卵飯、サンマ甘露煮、豚肉味噌焼、笹蒲鉾、ゆで卵、牛タン入りコロッケ、煮豆、菜の花、玉こんにゃくなど。「仙臺まるごと弁当」や「宮城まるごと弁当」の廉価版と考えれば分かりやすい。今は売られていない模様。
笹蒲鉾を詰めるだけで仙台を描けるのは便利だが、中身と地元の関連は分からず、テレビ小説との関連はまったくないと思う。食品表示での商品名「幕の内弁当(小分け)」が語るとおり、そういう役回りに位置付けられたのだろう。テレビのほうはNHK連続テレビ小説史上初めて週間最高視聴率が20%を切る不振だったそうだが、記念駅弁はこうやって地道にしばらく販売が続いた。
下記の駅弁「こだわり弁当幕の内 各驛停車」を、2005(平成17)年にリニューアル。正六角形の容器が長方形に戻り、ふたの裏側に印刷された挨拶文やお品書きが別添のしおりに移動した。中身も少々変わり、日の丸御飯に笹蒲鉾、鶏香味焼、玉子焼、揚げ舞茸、ホヤ磯焼、赤魚照焼、煮物各種、長なす漬けなど。
容器の絵柄と価格は据え置いたが、雑誌で企画し決めた部分にも変更が及んでいるような。「旅」誌そのものもJTBから新潮社に移動してから、以前とは似ても似つかぬ抽象系に変わり、販売不振で2005年11月号からはなんと女性誌を名乗り始めたので、駅弁もこれでよいのだろう。2010年以降は売られていない模様。
※2014年7月補訂:終売を追記1991(平成3)年3月11日に1,100円で発売。日本交通公社(JTB)の月刊誌「旅」の誌面企画により、駅弁に詳しい林順信、小林しのぶの両氏、漫画家のヒサクニヒコ氏、雑誌の編集長と調製元の社長で議論し考案した、こだわり駅弁。約1年間販売し、1995(平成7)年に容器や中身を簡略化して900円で再発売した。その後に容器を長方形から正六角形にするなどのリニューアル。
ボール紙のふたのイラストは、発売当時のヒサクニヒコ氏による絵柄が健在で、弁当や食材を持つ機関士や生産者が貨物列車でニッコリ。中身は胡麻振り御飯に揚げ舞茸、金目鯛照焼、ほや磯焼、玉子焼、各種の煮物など。笹かまぼこと長なす漬けで仙台をアピールする。発売時には多治見焼で汽車形の醤油入れが付いたという。
さすがプロの駅弁趣味者や旅行雑誌編集者が手掛けたとあって、売り切れの早い人気駅弁に成長したが、なんと日本最古級の現役月刊雑誌と言われたプロデュース元の雑誌が、2004(平成16)年1月号限りで休刊となってしまった。会社を変えて三か月後に復活。駅弁も2005年頃に上記のものへリニューアル。
※2021年3月補訂:発売年などを追記春夏秋冬と季節毎に中身が替わる、NRE仙台版幕の内弁当。購入したものは2007年の秋版で、田舎の紅葉と実りの水田がパッケージに描かれ、中身は栗御飯、銀鮭や海老や銀杏や玉子焼やサンマ甘露煮、笹蒲鉾やなす肉詰めフライなど、里芋などの煮物と四目卵焼など。秋の食材や仙台の食材がコンパクトな容器に整然と詰められている。特殊駅弁のような華やかな特徴こそないが、相変わらず良い駅弁。なお、このシリーズの駅弁の2009年の夏以降の販売は確認できない。
※2012年5月補訂:終売を追記春夏秋冬と季節毎に中身が替わるNRE仙台版幕の内弁当の、2005年の夏バージョン。田舎の夏景色がパッケージに描かれ、中身はしその実みょうが御飯、マグロ照焼やうな玉や穴子や牛タン、ナスや里芋などの煮物、笹蒲鉾にずんだ餅など。風味は良いのに容器がちゃちで、松花堂の仕切りがひん曲がるのはみっともない。
パッケージに描かれる風景について、緑の山と水田はともかく、いくら東北でもシャボン玉に熱中する着物を着た少女の風景は、もう過去か再現かの映像でしか見られないと思う。この絵に風情や懐かしさを感じる世代は、どこまでであろう。
なお、このシリーズの駅弁の2009年の夏以降の販売は確認できない。
※2012年5月補訂:終売を追記春夏秋冬と季節毎に中身が替わる、NRE仙台版幕の内弁当。購入したものは2003年の冬版で、田舎の雪景色がパッケージに描かれ、中身はひじき御飯、紅鮭やカキ時雨煮や湯葉海老包揚やカニ団子、笹蒲鉾と牛たん煮など、冬の食材や仙台の食材がコンパクトな容器に整然と詰められている。特殊駅弁のような華やかな特徴こそないが、良い駅弁。このシリーズの駅弁の2009年の夏以降の販売は確認できない。
※2012年5月補訂:終売を追記1983(昭和58)年8月13日8時の調製と思われる、昔の仙台駅弁のふた。中身は御飯にササニシキを使った幕の内弁当だろう。当時は新潟米コシヒカリと宮城米ササニシキがブランド米の二大巨頭。しかし1980(昭和55)年の冷害以降、ササニシキの衰退が進むことになる。
1982(昭和57)年6月23日12時の調製と思われる、昔の駅弁の掛紙。仙台駅のものかは不明だが、調製元の本社所在地に収蔵。その支店や営業所がある東北六県すべての名前があるので、どこでも使える汎用掛紙だったかどうか。この日は東北新幹線の大宮駅から盛岡駅までの開業日。沿線と無縁な静岡駅弁の掛紙でも祝ったのに、こちらには何もない。
1973(昭和48)年8月18日9時の調製と思われる、昔の駅弁の掛紙。仙台の昔の駅舎のイラストと、鉄道唱歌の仙台に関する歌詞を描いている。その1900(明治33)年当時で、町数32、2里四方、人口7.6万人の仙臺市は、2008年時点で区数5区、面積788平方キロメートル、人口103万人の政令指定都市に発展した。
入手状況等から1970年代のものと思われる、昔の仙台駅弁の掛紙。「DISCOVER JAPAN」のロゴマークがあるので、1970年代前半頃のものと思われる。掛紙には現在も青葉城趾から仙台市街を見下ろす伊達政宗像が描かれ、一目で仙台と分かるイラスト。
1960(昭和35)年5月4日11時の調製と思われる、昔の駅弁の掛紙。仙台駅のものかは不明だが、調製元の本社所在地に収蔵。おかずの掛紙の絵柄は、下記の1957年7月のものと同じだが、伯養軒の支店及営業所所在地の内容や記載順がまるで異なる。
1957(昭和32)年7月5日の調製と思われる、昔の駅弁の掛紙。仙台駅のものかは不明だが、調製元の本社所在地に収蔵。掛紙右側に支店営業所一覧があり、そのすべてで駅弁の販売があったわけではないが、茂市や雫石や陸奥湊でも営業があったのかと思う。
1960年代、昭和35年前後の、5月6日8時の調製と思われる、昔の仙台駅弁の掛紙。調製元が株式会社になった1963(昭和38)年4月や、仙台市の市内局番が2桁になった1963(昭和38)年1月より前のものか。掛紙の背景はリンゴやわんこや酒やきのこなど、仙台や宮城より広く東北のものを集めたように思える。
1953(昭和28)年12月13日16時の調製と思われる、昔の駅弁の掛紙。おかずの掛紙に描かれたのは、こけしと五大堂などの松島の風景か。御飯の掛紙には「外食券お引換」とあり、時代がうかがえる。1955(昭和30)年頃までは、米飯の駅弁を買うには政府から配給される外食券が必要だったという。
1953(昭和28)年6月4日4時の調製と思われる、昔の駅弁の掛紙。価格が70円から80円に訂正されている。おかずの掛紙に描かれたのは松島の五大堂か。収集者はおかずの掛紙1枚と御飯の掛紙2枚をセットにして集め、調製印に昭和と書き入れ、御飯の掛紙に年月日をメモした。