札幌駅から快速電車で30分強。小樽市は札幌市の北西で日本海に面した、人口約11万人の港町。北海道開拓の玄関口として19世紀末に貿易港として繁栄、第二次大戦後は大陸側の共産圏化やエネルギー革命などにより衰退し、現在は札幌市のベッドタウンであるとともに、旧市街地の観光で賑わう。駅弁は駅舎の土産物店に置かれることがある。1903(明治36)年6月28日開業、北海道小樽市稲穂2丁目。
1985(昭和60)年10月9日の調製と思われる、昔の小樽駅弁の掛紙。絵柄は下記のの1985年4月のものと同じ。
1985(昭和60)年4月19日9時の調製と思われる、昔の小樽駅弁の掛紙。現在の同じ名前の駅弁は中身と駅舎の写真を掲載するが、当時のものは毛ガニの写真と道南の地図を描き、こちらのほうがスケール感がある。
昭和40年代頃の、8月2日14時の調製と思われる、昔の小樽駅弁の掛紙。小樽市の市内局番が2桁になった1972年頃より前のものか。鰊御殿、日和山燈台、水族館が簡単なスタンプのようなイラストで描かれる。小樽が観光地として認識されるのは1990年代に入ってからだと思うし、その目玉である運河はここに登場しない。
1969(昭和44)年8月28日の調製と思われる、昔の小樽駅弁の掛紙。絵柄は上記のものと同じ。
1969(昭和44)年8月28日の調製と思われる、昔の小樽駅弁の掛紙。魚2匹の他にはいったい何を描いたのだろうか、変な模様を並べる。当時の小樽駅では幕の内弁当と鳥めしと寿しを売ったことが、記載の内容でわかる。
1950年代、昭和30年前後のものと思われる、昔の小樽駅弁の掛紙。収集者は1954(昭和29)年のものとみなした。下記の「寿し」と同じく、商品名と調製元とエビでできているが、こちらは甘えびかボタンエビか、小樽でも水揚げがありそうな姿をする。駅弁の寿司はそんな海鮮でなく、今も小樽駅の駅弁にある助六寿司であるはず。
1950年代、昭和30年前後のものと思われる、昔の小樽駅弁の掛紙。収集者は1953(昭和28)年4月10日の調製としていた。北海道では獲れないイセエビを描いたように見える。小樽は当時有数の貿易港として遠方から何でも手に入れられたと考えるのは空想が過ぎるか。鉄道に関する注意書きなどがないため、駅弁でなく駅前食堂が折詰に使う掛紙かもしれない。
1953(昭和28)年3月1日の調製と思われる、昔の小樽駅弁の掛紙。収集者が箸袋とともに、スクラップブックに貼り付けた。小樽の何かを表したり描いたわけではないように見える。
戦前のものと思われる、昔の小樽駅弁の掛紙。その名前から、弁当ではないと考えられる。1911(明治44)年から1944(昭和19)年まで小樽の名物であった、小樽港で石炭を積み出した手宮高架桟橋の絵柄を、「小樽駅 構内売店 南小樽駅」「小樽 意匠登録願 名物」「代表的名菓」「萬人之嗜好」「創製 太平楽 本舗」「小樽みやげ」「風味高尚」「四味四色」などの文字で囲む。
1923(大正12)年8月7日の調製と思われる、昔の南小樽駅弁の掛紙。函館本線が手宮線を分けた南小樽駅には、現在の小樽駅とは別の構内営業者がいて、駅弁を販売した。第二次大戦中の1943年に小樽、南小樽、銭函、余市駅の構内営業者6名が合併、1948年に解散した後、南小樽駅に駅弁は残らなかった。
1922(大正11)年の調製と思われる、昔の小樽駅弁の掛紙。同年に上野公園で開催された平和記念東京博覧会で英国の皇太子殿下が来日されたことを記念して、全国各地の駅弁屋が同じデザインの記念掛紙を使用したもの。周囲に日本と英国の国旗を配し、右に駅弁の名前、左下に調製元、下部に日英の歓迎文、上部の2枠は広告枠。