札幌駅から特急列車で4時間強、札幌方面と根室方面と網走方面へ鉄路が分かれる駅。釧路市は北海道東部で太平洋に面する、人口約17万人の港町。全国最大級の漁港と道東最大の工業地帯を持ち、空港も備える物流の拠点であるほか、釧路湿原など道東観光の玄関口として賑わった。駅弁は改札外駅舎内の土産物店2店が、釧祥館と引田屋のものを販売。1917(大正6)年12月1日開業、北海道釧路市北大通14丁目。
2023(令和5)年1月の京王百貨店の駅弁大会で実演販売。翌月の鶴屋百貨店の駅弁大会でも実演販売。商品は北海道物産展その他催事場で売られる海鮮弁当という感じで、極めて上げ底の容器に酢飯を薄く敷き、ホタテ、サーモン、うに、かに、いくら、海藻、ガリなどをブロック状にはめている。高価でおいしい海鮮丼。催事限定の疑義駅弁にみえるが、実質的な調製元の旭川駅では、このような弁当が本当に駅弁売店に置かれることがあるから、釧路駅で売られる可能性も、あるのかもしれない。
2017(平成29)年の秋に改めて発売か。下記の駅弁「いかめし」の中身を変えず、紙箱をやめてプラ製のフィルムを袋とし、この中に透明なトレーごと収めて密封する、スーパーやデパートの駅弁大会向け商品。袋を開いて食べる際には手がかなり汚れるが、開封しなければ鞄の中に放り込んでも大丈夫で、持ち歩きにはとても便利。価格は2018年の購入時で650円、2020年時点で680円、2021年時点で780円、2023年時点で790円。
※2023年5月補訂:値上げを追記秋冬の駅弁大会シーズンに向けた、2009(平成21)年秋の新商品か。有名な森駅の駅弁「いかめし」の西日本版を、完全に模倣したように見える。値段は模倣元より20円安く、構造は不明だが楊枝で留めていないため、他に楊枝かフォークを持っていれば森駅の駅弁より食べやすい。2017年までに上記の「釧路いかめし」と交代。
※2018年10月補訂:終売を追記2019(令和元)年の秋までに旭川駅と釧路駅で発売か。白飯をタマネギ炒めで覆い、さらに牛肉煮で覆い、菜の花大根醤油漬とポテトを添える。おいしくも没個性な牛肉駅弁で、付合せにじゃがいもを入れることで北海道を表現したのかどうか。釧路駅ではこの掛紙を使い、旭川駅では絵柄の異なるスリーブを使い、同じ中身と値段ながら両駅で区別を付けていた。価格は2019年の発売時や2020年の購入時で1,100円、2021年時点で1,280円。2021年の春頃に終売か。
※2022年4月補訂:終売を追記釧路駅の幕の内弁当。日の丸御飯を、焼鮭ときんぴらごぼう、焼売、かまぼこと玉子焼、ニンジンや高野豆腐などの煮物、有頭海老とホタテ煮、鶏唐揚、コロッケ、ニシン昆布巻と大根味噌漬で囲む。昭和の北海道の幕の内駅弁はこのように、全国で一般的な幕の内駅弁に、ホタテやニシンその他の北の味を加えていた。そんなところに北海道を感じることができるかどうか。釧路駅弁の釧祥館は2020(令和2)年に釧路の店舗を閉めたようで、この駅弁の調製元は「旭川駅立売商会」になっている。2021年の春頃に終売か。
※2022年4月補訂:終売を追記上記の駅弁「釧路湿原弁当」の、2014(平成26)年時点での姿。掛紙と値段は同じで、中身もほぼ同じだが、当時はうずら卵やイクラなど、6年後より具の種類が少し多い。当時に特急列車「スーパーおおぞら」の車内販売で売られた弁当「くしろ北紀行」に、よく似ていた。
※2021年2月補訂:新版の収蔵で解説文を手直し秋冬の駅弁大会シーズンに向けた、2017(平成29)年秋の新商品か。現地では売られない疑義駅弁と考えられる。窓開きのスリーブに商品名を描く。中身は茶飯をカニほぐし身、イクラ、カキ、錦糸卵で覆い、いも茎、菜の花、生姜酢漬を添える。地域性はなくも、弁当として食べればそれなり。このシーズンのみの販売か。
※2021年2月補訂:終売を追記2011(平成23)年の発売か。とはいえ、同じような駅弁は、釧路駅でも旭川駅でも、これらや他の北海道の駅を名乗る駅弁でも、よくあるタイプ。丸い容器に御飯を詰めて、真ん中に蒸しウニを据え、周囲をイクラ醤油煮で囲い、ガリを添える。ウニとイクラの絵で彩るボール紙枠の窓から、そんな中身が少し見える。催事場でありきたりの商品でも、駅弁や鉄道や旅行に親しんでなければ、そして現地で突然に出会えれば、感動するのかなと思う。価格は2014年の購入時で1,100円、2017年時点で1,230円。2019年までの販売か。
※2021年2月補訂:終売を追記2014(平成26)年1月の京王百貨店の駅弁大会と阪神百貨店の駅弁大会で販売。現地やそれ以外の場所で売られたかは、定かでない。楕円形の容器に白御飯を詰め、サケ塩焼き、ホタテ、昆布巻、きんぴら、野沢菜大根漬と、豚肉の揚げ物、煮玉子、ミックスベジタブルを載せる。後述の理由により、サケから漬物までは日本の、豚肉からベジタブルまでは台湾の駅弁に、よく見られるものを詰めた感じがする。
容器を収めるボール紙の枠には、台湾の台北駅の写真と、台北駅の公式な駅弁屋「臺北鐵路餐廳」のロゴ、そして釧路の風景写真と、釧路駅の公式な駅弁屋「釧祥館」のロゴがデザインされる。台北駅では、台湾鉄路管理局のSL列車「CK124SL」と、JR北海道のSL列車「SL冬の湿原号」の姉妹列車提携1周年を記念し、2013年3月に台北駅弁「臺鐵・北海道特色便當」が登場しており、これに対する返礼ではないかと思う。調製元も百貨店もメディアなどでも、この駅弁の登場について何も発信していない。
釧路駅弁の珍名物。長方形の容器に緑色の掛紙を巻く。中身は酢飯ではなく茶そばと海苔でキュウリや薄切り大根を巻いた細巻が16個。これを添付のそばつゆで食べる。釧路駅の改札外売店で「いわしのほっかぶり」シリーズと仲良く並び販売された。2008年頃までの販売か。
春採は、釧路市中心部の南方にある地名。公園が併設される周囲約5キロの春採湖は市民の憩いの場で、固有種のヒブナが天然記念物となり周囲には百種以上の野鳥が生息するが、市街に呑み込まれた流入河川のない海湖なので、北海道一で全国でも五指に入る水質の悪い湖としても知られる。
※2017年5月補訂:終売を追記釜飯駅弁向けプラ容器を、ボール紙の枠にはめる。中身は地元のあさりとその煮汁で炊いたという醤油飯の上に、つぶ貝・帆立・とたっぷりのあさりを載せ、うずらの卵や椎茸や山菜などを添える。スーパーの駅弁大会ではとてもよく見かけた商品で、過去の陶製容器を変更したのはそれに対応したのかどうか。容器はやや味気ないが中身のレベルは標準を確保している感じ。2009年頃までの販売か。
1989(平成元)年7月に釧路中心街の旧釧路川岸に開業した、釧路フィッシャーマンズワーフ「MOO」。1981(昭和56)年時点では地元経済界主導で、現在の函館や小樽の港町のように旧倉庫群を観光商業施設に改装するだけの構想が、1985(昭和60)年5月制定の通称「民活法」の認定に前後して巨大化、3段階で約500億円規模の再開発事業の第一次としてデザインを重視した、33億円の巨艦ビルと5億円の大温室を建てるバブリーな第3セクター事業に変貌した。
開業当初こそ名所になり地域振興のモデルケースともてはやされたが、バブル経済と崩壊をともにしたようで、破綻はしていないもののテナントはすっかり流出、週末の夜に訪問したら施設は照明空調完備の廃墟となっていた。それでも公表の施設訪問者数は開業当初からそれほど減っていないのは、併設の都市間バス待合室の利用客でも計上しているのかもしれない。
※2017年5月補訂:終売を追記1999(平成11)年6月3日の調製と思われる、昔の釧路駅弁の掛紙。掛紙の絵柄は、タンチョウのいる釧路湿原を丸木舟イタオマチプで渡るアイヌを描いたものか。貝の釜めしは1990年の釧路駅や催事で、人気の駅弁だったのではないかと思う。
透明なフタをした小ぶりな正方形の黒いプラスティック製容器の中身は、同じく透明の窓があるボール紙製パッケージから見えるとおり、御飯の上にぎっしりウニを敷き詰め、アルミの舟にはたっぷりのイクラが載る、名前どおりの駅弁。これだけ少量・高価格な品なので、味は良好。これが内地の駅弁大会に出品されると、旭川駅弁の旭川駅立売(株)が発売元となる。2011年に「雲丹・イクラめし」へのリニューアルにより終売。
※2013年7月補訂:終売を追記2006(平成18)年6月1日の発売。札幌駅と釧路駅を結ぶ特急列車「スーパーおおぞら」のうち、釧路駅発札幌駅行列車の車内販売専用弁当で、客室乗務員の企画を取り入れた商品。調製は釧路駅弁の釧祥館。こちらは列車内備え付けの「ワゴンサービスメニュー」でも、「くしろ華寿し」の商品名が与えられる。惣菜弁当用の感じがする長方形の容器を直接、窓付き紙枠に差し込んで、ビニールひもでしばる。
中身はいなり3個、細巻き3個、イクラとキュウリのいなり軍艦1個、伊達巻2切れ、漬物類。ズワイガニ入りというおいなりさんに風味がないなど、味の面で少々の不満はあるが、カニ足の開きやイクラいなりで魅せるなど、見栄えの上では申し分なし。伊達巻の添付は駅弁の品格を落とすが、これを玉子焼の代用品だと思わなければ、最近はおせち料理でしか見ない食材なので、それなりに豪華感がある。2014年頃までの販売か。
※2017年5月補訂:終売を追記札幌駅と釧路駅を結ぶ特急列車「スーパーおおぞら」のうち、釧路駅発札幌駅行列車の車内販売専用弁当で、客室乗務員が企画した商品である模様。調製は釧路駅弁の釧祥館。列車内備え付けの「ワゴンサービスメニュー」での商品名は「幕の内弁当」。駅弁用というより惣菜弁当用の、フタが透明な長方形の容器に、中身を完全に隠すサイズの掛紙を巻いて、ビニールひもでしばる。
中身は日の丸ご飯の周囲を、エビやホタテやニシン昆布巻、ツブ貝や筋子や焼鮭などで囲むもの。幕の内としては内容でも風味でも北海道らしさが感じられるし、分量は特急利用者の車内食としてちょうど良い。駅弁趣味を離れて見れば野暮ったいものが多いと思う、道内の幕の内駅弁がひとまず目指すべきベンチマーク。2014年頃までの販売か。
※2017年5月補訂:終売を追記1978(昭和53)年1月1日11時の調製と思われる、昔の釧路駅弁の掛紙。元日のものだが、正月の記念掛紙でなく、この絵柄は通年のものだろう。イラストに硫黄山、阿寒湖、ヌサマイ橋、カニ、丹頂鶴、マリモ、啄木歌碑、双岳台、摩周湖、白鳥、そして地図にはパイロットファームや北洋漁業基地など、当時の道東の観光資源が散りばめられる。
1969(昭和44)年8月23日の調製と思われる、昔の釧路駅弁の掛紙。不思議と調製印が2個押され、それぞれ時間が異なるように見える。釧路駅の駅弁屋の掛紙だが、鉄道に関する注意書きなどがないため、仕出しか持ち帰り弁当のものかもしれない。
1950年代、昭和30年前後のものと思われる、昔の釧路駅弁の掛紙。収集者はこれを1954(昭和29)年9月の調製とみなした。絵柄は石川啄木の短歌「汽車の窓 はるかに北に ふるさとの 山見え来れば 襟を正すも」と、雄阿寒岳と雌阿寒岳に見える山並みと、四代目幣舞橋(ぬさまいばし)か。
1954(昭和29)年4月22日の調製と思われる、昔の釧路駅弁の掛紙。石川啄木が1910(明治43)年5月に新聞で発表し、同年12月発行の歌集で改作されたという短歌「しらしらと 氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の 冬の月かな」と、1934(昭和9)年に現在の釧路市の米町公園に建てた歌碑から眺める釧路港や、雄阿寒岳と雌阿寒岳に見える山並みを描いたものか。調製元の屋号と電話番号の間に「わたなべ」と読める絵柄がある。当時の釧正館、現在の釧祥館は、渡辺家の同族企業であった。
1953(昭和28)年4月9日の調製と思われる、昔の釧路駅弁の掛紙。「御辨當」の掛紙に「チキンお辨當」の商品名を上貼りした。1928(昭和3)年完成の四代目幣舞橋(ぬさまいばし)、釧路湿原のタンチョウヅル、1908(明治41)年に3か月ほど釧路で勤務した石川啄木が1910(明治43)年8月に詠んだ短歌「汽車の窓 はるかに北に ふるさとの 山見え来れば 襟を正すも」を描く。