名寄本線の渚滑(しょこつ)駅で1935(昭和10)年から1978(昭和53)年まで販売された駅弁を、2000(平成12)年1月の京王百貨店の駅弁大会で復刻販売。今回は2003(平成15)年1月の京王百貨店の駅弁大会で再び販売されたものを購入できた。
折箱に干しホタテ貝柱をほぐして炊き込んだ御飯を敷き詰め、グリーンピースで彩り、紅生姜と奈良漬けを添える。大きなホタテ煮が派手な現在のホタテ駅弁と違い、見た目にホタテはひとつもなく、口の中でその滋味を味わうもの。
渚滑駅は名寄本線で紋別駅から名寄方面へ2駅。北見滝ノ上駅への渚滑線を分岐し、急行列車も止まる主要駅であったが、渚滑線も名寄本線も国鉄の特定地方交通線、つまり廃止対象線に指定され、渚滑線は1985(昭和60)年3月限り、名寄本線は1989(平成元)年4月限りで廃止された。鉄道が廃止された後も残っていた駅舎は1997(平成9)年に解体され、跡地には紋別市渚滑高齢者ふれあいセンターが建つ。
昭和40年代、1970年前後のものと思われる、昔の斜里駅弁の掛紙。斜里岳、原生花園、ウトロ港と、21世紀と変わらない地元の観光名所が描かれる。現在の知床斜里駅、1998(平成10)年3月までの斜里駅はかつて、このように公式な駅弁販売駅であった。
旭川駅から特急列車や快速列車で約2時間半。生田原は北海道の東部で2005年まで町制を敷いた、人口約2千人の開拓地。大正時代に鉄道が通じ、峠越えの機関車の車庫が置かれ、かつて林業や銅山で栄えた集落であった。駅弁は駅の開業の頃から1960年代まで、弁当と寿司の普通駅弁が売られた。1914(大正3)年10月5日開業、北海道紋別郡遠軽町生田原。
札幌駅から特急列車で約1時間半。占冠村は北海道の中央部で日高山脈と石狩山地と夕張山地に囲まれる、人口約1千人の村。入植者も去るような山奥の僻地に、1981(昭和56)年10月に道央と道東を結ぶ幹線鉄道が開通、特急列車が止まり、リゾート開発が行われ、21世紀には高速道路も整備された。駅の開業でなんと駅弁が誕生し、4〜12月に牛肉弁当と山菜弁当が売られたが、おそらく1986(昭和61)年限りで撤退した。1981(昭和56)年10月1日開業、北海道勇払郡占冠村字中央。
札幌駅から特急列車で47分。砂川市は北海道の中央部で石狩川が流れる、人口約1万5千人の開拓地。鉄道が開通し駅ができ原始林が開拓されたほか、石狩炭田あるいは空知炭田から来る2本の鉄道に水利や平地を生かした工業で発展した。駅弁は1900年頃から1960年代まで売られ、末期には稲荷寿司を「たぬきずし」と名付け販売した。1891(明治24)年7月5日開業、北海道砂川市東2条北3丁目。