岡山駅から特急列車で約3時間。出雲市は島根県の東部で日本海に面した人口約14万人の商工業都市であり、2000年かそれ以上前の神話の時代からの伝承や寺社が今に残る古代都市でもある。駅弁は駅構内に食堂を構える国鉄時代からの駅弁屋が販売したが、2018年9月限りで消えた。1910(明治43)年10月10日開業、島根県出雲市駅北町。
白く柔らかいプラ製トレーを2個詰めたボール紙製容器を使用、そのふたには駅を中心とした周辺の名所がイラストで描かれる。中身は日の丸御飯に鶏肉煮、白身魚フライ、焼サバ、ウインナー、玉子焼、カマボコ、スパゲティサラダ、オレンジなど。500円でこれだけ入っているのなら上出来だが、内容も品質も昭和の昔懐かしい幕の内駅弁で、駅弁ファン以外の心をつかめるかどうか。この駅弁は予約制とされるが、訪問時には売店で普通に買えた。駅弁屋が食堂ごと撤退し、2018(平成30)年9月に終売。
出雲市駅は以前から山陽本線の主要駅のひとつではあったが、1982(昭和57)年7月に伯備線の全線と山陰本線の伯耆大山駅〜知井宮駅が電化され、特急列車「やくも」が岡山駅と出雲市駅を結び始めると、特急列車の起終点として駅の知名度を大いに上げた。電化区間はそれから西へ延びていないため、今でも電車特急の起終点であり、普通列車の乗り継ぎ駅であり、「出雲市」の名は時刻表やその路線図で存在感を出している。
※2018年9月補訂:終売を追記昭和40年代までには発売。正八角形の容器に、古代人や大社などを描いたボール紙のふたをして、輪ゴム2本で十字に留める。中身は酢飯の上にカニのほぐし身と錦糸卵を敷き詰め、カマボコやグリーンピースなどを添えるもの。かつて山陰本線の主要駅に軒並み備わっていたカニ駅弁のひとつであり、しかし好評も不評もあまり聞かない地味な存在である。価格は2009年の購入時で920円、2015年時点で940円。駅弁屋が食堂ごと撤退し、2018(平成30)年9月に終売。
出雲市では2000(平成12)年に高架化工事が完成、その後は駅前にビジネスホテルが何棟も進出し、道路も広く整備され、お隣の一畑電車の電鉄出雲市駅も後退のうえ高架化され、景色が一変した。夜が早い町で18時にもなれば開いている店がほとんどない状況は、20年経っても変わらない感じ。
※2018年9月補訂:終売を追記2003年秋の空弁ブーム以来、全国どこでも買える感のある焼きサバ寿司。出雲市駅で買えたものは御飯に島根県仁多米を使用、ノルウェー産と書いてあるサバの身は酢飯の上でぐちゃぐちゃになっており、見栄えは悪いが個性的である。味は特に変わりなし。なお、調製元は出雲市駅の駅弁屋ではない。駅弁屋が食堂ごと撤退したため、これも駅では2018(平成30)年9月に終売と思われる。
パッケージの裏面に書かれるとおり、全国的に神無月(かんなづき)イコール神がいない月とされる10月は、出雲では神在月(かみありづき)となり、全国から八百万(やおよろず)の神々が集まるとされる。確実に1200年は遡れ、神話の時代からの歴史が記録される出雲の地は、車窓をぼんやり眺めていても、その景色が晴れでも雨降りでも、なんとなく神々しい気がしてしまう。
※2018年9月補訂:終売を追記昭和50年代までには発売。簡単な路線図と出雲大社や商品名などを描いたボール紙製の専用容器を使用、中身は4割がそば、3割がおかずで海老天、焼マス、カマボコ、玉子焼、ワカサギ甘露煮など、2割がかにちらしずし、1割がめんつゆのボトルと刻みネギ。出雲の名物であるそばと、出雲駅弁の名物であるかにずしが同時にいただける。価格は2009年の購入時で1,050円、2014年4月の消費税率改定で1,080円。駅弁屋が食堂ごと撤退し、2018(平成30)年9月に終売。
1957(昭和32)年3月までは出雲今市(いずもいまいち)駅を名乗っていた出雲市駅には、明治末期の1910(明治43)年にようやく鉄道が開通し、2年後に兵庫県の香住〜浜坂間の開通で山陰本線として東京や京都とレールがつながった。当時は出雲市から先を出雲大社経由で線路を延ばす予定が、大社は通過される中間駅ではなく全列車が止まる終着駅であるべきとの地元意見があったそうで、1912(明治45)年に大社線の出雲市〜大社間7.5kmが開業した後、山陰本線は出雲市から分岐する形で翌1913(大正2)年に西へと延びていった。
その後は確かに、関西と出雲を結ぶ列車が大社駅を起終点としていた時間が長かったが、1980(昭和55)年10月成立の国鉄再建法では独自の路線名を持っていたことが徒(あだ)となり、利用者数が少ないローカル線として特定地方交通線つまり廃止対象線に選定され、1990(平成2)年3月31日限りで大社線は廃止されてしまった。大社へは現在も私鉄の一畑電車が通じているが、観光客は主に観光バスやレンタカーあるいはタクシーで大社へ行くようになっている。
※2018年9月補訂:終売を追記1980年代のものと思われる、昔の出雲市駅弁の掛紙。特製でなく「特別」と名乗るのは珍しいが、個人的には「高級分譲マンション」などと同じく、たいしたことがないと判断できると思うフレーズ。絵柄は、出雲大社、出雲日御碕灯台、安来節どじょうすくいを描き、宍道湖を除くこの地の名物名所を網羅する。
1970年代のものと思われる、昔の出雲市駅弁の掛紙。よく観察して故事にちなむことを感じるかどうかという絵柄。中身はおそらく、普通の幕の内駅弁だったのではないだろうか。
第二次大戦前の調製と思われる、昔の出雲今市駅、現在の出雲市駅の駅弁の掛紙。収集者は1938(昭和13)年6月4日の調製とみなし、掛紙にそう記した。調製印は日と時のみを示し、絵柄に名所その他の情報が何もなく、いつのものかは分からない。
第二次大戦前の調製と思われる、昔の出雲今市駅、現在の出雲市駅の駅弁の掛紙。この地域の名所は神話の時代から出雲大社であり、この掛紙にも当然のように描かれている。駅名は1957(昭和32)年4月1日に現在の「出雲市」へ改称。
1922(大正11)年の調製と思われる、昔の出雲今市駅、現在の出雲市駅の駅弁の掛紙。同年に上野公園で開催された平和記念東京博覧会で英国の皇太子殿下が来日されたことを記念して、全国各地の駅弁屋が同じデザインの記念掛紙を使用したもの。周囲に日本と英国の国旗を配し、右に駅弁の名前、左下に調製元、下部に日英の歓迎文、上部の2枠は広告枠。