東京駅から新幹線で2時間強。京都市は京都府の県庁所在地である、人口約150万人の市。9世紀末の平安時代からの都であり、世界的に著名な古都として、年に5500万人もの観光客が訪れる。駅弁は見た目に多種が売られるが、それらは他府県の駅弁や近隣の弁当であり、京都駅の駅弁や駅弁屋はなくなっている。1877(明治10)年2月6日開業、京都府京都市下京区烏丸通塩小路下ル東塩小路町。
2013(平成25)年の発売か。この「京のおばんざい」シリーズで共通のプラ容器を、青竹色の掛紙で包む。中身はタケノコ御飯が2区画、うち1区画にタケノコ煮を載せ、ゆば、きんぴら、サツマイモ、高菜、玉子焼。駅弁より食感が柔らかで色調をくすませた、落ち着きのある内容か。タケノコは一年中出回っていても、旬の季節ではなく、この駅弁も京都では春に売られるものらしいが、なぜか東京駅で秋に売られた。
2016(平成28)年春の発売か。黒い正方形の容器の中心に、小さなサワラ西京味噌焼を2個置き、梅ちりめん載せ御飯、タケノコ山椒載せ御飯、きんぴら、ゆば、高菜、サツマイモで囲った、淡い茶色のお弁当。味も淡くて地味。大根桜漬や紅生姜で赤を入れるような派手さがなく、落ち着いていた。今回は東京で買ったので、調製元が掛紙記載の「なかがわ」でなく、東京都羽田の空弁屋「日本エアポートデリカ」になっていた。
1997(平成9)年の発売とされるが、もっと前からあった気がする。円形の竹籠に紙を敷き、京料理の煮物、揚げ物、焼き物、練り物を盛り付け、経木でふたをして風呂敷で包むという、おおよそ駅弁らしからぬ姿。何の解説もないので知っていないと分からない、良くも悪くも京らしい、しかしこれが駅弁として売られないのは京都と駅弁にとって損失なのではと思う個性が感じ取れた。京を知らずとも、雅な雰囲気。
なお、萩の家の駅弁は、2008年9月までに在来線改札内から売店が消え、2010年9月に新幹線改札内から商品が消え、同年12月に売店も閉店してしまい、今では駅で買うことができなくなっている。梅小路蒸気機関車館の敷地内の弁当販売小屋では、晴天の土休日に限りこの弁当が購入できたが、2016年4月の京都鉄道博物館へのリニューアルに向けた2015年8月の閉館により失われた。
※2017年8月補訂:終売を追記1987(昭和62)年11月にJR東海の「新幹線グルメ」キャンペーンで誕生した駅弁。円形に近い正十角形の容器の中には、大豆入りの炊き込みご飯と、揚げ物煮物漬け物など20種近いおかずがぎっしり。お酒のおつまみとしても利用できる。名前からどうしても購入客層は年齢が高めになりがちだが、根強いファンが付いている。
精進料理とは、肉や魚を使わずに穀物や豆類や野菜を主に使う料理のことで、これに加えてもっとたくさんの定義があるという。殺生を戒める仏教の教え方に由来するとされるが、名前が「精進」と付くくらいなので、それも含めた仏教修行の一環なのだろう。国内では鎌倉時代に曹洞宗により確立されたので、その大本山である福井県の永平寺のものが評判が高いそうな。体験修行で味わうことができる。
なお、萩の家の駅弁は、2008年9月までに在来線改札内から売店が消え、2010年9月に新幹線改札内から商品が消え、同年12月に売店も閉店してしまい、今では駅で買うことができなくなっている。
※2011年1月補訂:現況を追記JR西日本の駅弁キャンペーン「駅弁の達人」の実施に伴い、おそらく2004(平成16)年放送のNHK大河ドラマ「新選組!」を意識して、同年の5月1日に発売。経木の正方形の容器を厚手の掛紙で覆って紙ひもでしばる。中身は白としその梅型御飯に豚しゃぶ・鴨ロース・壬生菜など。主要食材それぞれに新撰組が関連付けられ、その内容はすべて掛紙に記されているので、読むだけでも楽しめる。
調製数が少ないのか、売れ行きが好調なのか、三か月で五度も訪問して一度も店頭で見られなかったので、入手には予約が必須だった模様。2004年度JR西日本「駅弁の達人」対象駅弁。
新撰組は幕末の頃のお話なので、そのグループ名はこの駅弁のとおりてっきり「新撰組」で正しいものと考えていたが、NHK大河ドラマでは「新選組」とセンの字が異なっている。こちらが正しいのか、または「撰」の字が常用漢字外であることから局として使用できなかったのか。
なお、萩の家の駅弁は、2008年9月までに在来線改札内から売店が消え、2010年9月に新幹線改札内から商品が消え、同年12月に売店も閉店してしまい、今では駅で買うことができなくなっている。
※2011年1月補訂:現況を追記JR西日本の駅弁キャンペーン「駅弁の達人」の実施に伴い、2004(平成16)年5月1日に発売。ふたと枠が経木の正方形の容器を使用し、中身は白と五目の俵飯に玉子焼・焼穴子・蒲鉾・鰆味噌漬・高野豆腐に煮物類など、美味い不味いのコメントが難しいかなり独特な見栄えと内容は、これが京料理なのだろう。2004年度JR西日本「駅弁の達人」対象駅弁。
日本の都市は多くが、沖積地盤や水田跡など地盤が沈下する土地にあったり、自然発生的に密集市街地ができてから堤防整備などの治水事業が後追いになったり、急流河川の流積確保を目的に架橋が高所になったりと、河川を渡るには坂道を上がるのが当たり前であるが、千二百年前に都市街路の骨格が形成され、それ以来ずっと都市であった京都では、鴨川も桂川も街のレベルで渡河が可能な、札幌と並び国内では稀な大都市だと思う。
なお、萩の家の駅弁は、2008年9月までに在来線改札内から売店が消え、2010年9月に新幹線改札内から商品が消え、同年12月に売店も閉店してしまい、今では駅で買うことができなくなっている。
※2011年1月補訂:現況を追記