東京駅から北陸新幹線で約1時間半。長野市は長野県の北部に位置する、人口約37万人の門前町で県庁所在地。6〜7世紀からの歴史が伝わる善光寺が参拝客を集め、県庁や鉄道や銀行で商業が興り、1998年には冬季五輪が開催された。駅弁は1892年からの駅弁屋が2007年に撤退、東京駅の駅弁が売られた後に、県内業者の弁当が売店に入荷するようになった。1888(明治21)年5月1日開業、長野県長野市末広町。
2007(平成19)年6月に長野駅で発売。長野県やいくつかのイラストを描いた専用のボール紙箱を使用、黒いプラ製トレーの6区画に詰まる中身は、山菜おこわ、栗おこわ、サトイモや高野豆腐などの煮物、牛肉とシメジのしぐれ煮にサーモン味噌焼、エリンギのフライと鶏えごま揚、地鶏照焼と玉子焼とあんずシロップ漬。特殊駅弁と呼ばないまでも、幕の内の定義からはみ出した好印象。調製元は長野市内の給食業者だが、これに仕出し弁当や惣菜弁当の雰囲気はなく、駅弁としての姿形と風格を備えていると思う。価格は2011年の購入時で1,000円、2017年時点で1,100円。
※2017年10月補訂:値上げを追記2009(平成21)年10月に長野駅で発売。黒い正方形の容器に、おそらく信濃の名物を大量に描いたボール紙を巻く。黒いプラ製トレーの9区画に詰まる中身は、野沢菜おやき、豚角煮、サーモン味噌焼と玉子焼、ごま豆腐、高野豆腐とシメジ味噌和えと花ニンジン、日の丸御飯、野沢菜載せ御飯、野沢菜や小ナスなどの漬物、りんごのコンポートとあんずのシロップ煮。確かに信州が詰まっているし、おやきをそのまま駅弁に入れてくるとは驚いた。駅弁大会に出るほどではないが、旅先に置いてほしい山の味。2014年頃までの販売か。
※2017年10月補訂:終売を追記2007(平成19)年の夏までに発売か。野山を拙く描いた専用のボール紙箱を使用、黒いプラ製トレーに収まる中身は、白御飯に信州サーモン粕漬け焼き、信州産福味鶏の信州味噌田楽、信州サーモン入りの玉子焼き、信州牛のしぐれ煮と野菜の彩り、信州林檎のコンポートなど。コンセプトや使用食材のこだわりがあるも、内容は幕の内駅弁らしいもの。
この駅弁は調製元の破産により2012年3月30日までに終売となった模様。
1960年代、昭和35年以降の調製と思われる、昔の長野駅弁の掛紙。長野市に市内局番ができた1960(昭和35)年頃より後のものだろう。ご飯とおかずが別容器の幕の内弁当の、御飯に付いていた掛紙だと思われる。文字以外には真っ白で何もない、駅弁に興味がなければ確実にゴミになりそうな紙切れ。
1950年代、昭和30年前後のものと思われる、昔の長野駅弁の掛紙。長野市に市内局番ができる1960(昭和35)年頃より前のものだろう。地域の名産と思われる食材が7点ほど描かれる。上の御飯の掛紙とセット品かと思ったが、電話番号の桁数が異なるので、そうではないようだ。
昭和10年代、1940年前後のものと思われる、昔の長野駅弁の掛紙。収集者は1941(昭和16)年10月12日の調製とみなしていた。善光寺への道と「信濃では月と佛とおらのそば」の俳句を描いた平時の掛紙に、国民精神総動員のスタンプと節米に関する記述を追加し、戦時の掛紙になった感じ。
1931(昭和6)年1月31日の調製と思われる、昔の長野駅弁の掛紙。扇形を背景に、善光寺の本堂と灯籠らしきものを描く。他に刈萱堂(かるかやどう)、城山公園、川中嶋古戦場、戸隠神社を名所として並べた。
1929(昭和4)年6月5日11時の調製と思われる、昔の長野駅弁の掛紙。鳩と寺院と欄干と提灯が描かれているので、おそらく善光寺を表していると思うのだが確証はない。また、調製印が3つも押されているのは面白い。