新宿駅から中央本線の特急列車で約1時間半。甲府市は山梨県の県庁所在地である人口約19万人の城下町で、昭和の頃までは商業で賑わった。駅弁は国鉄時代からの駅弁屋が2002年3月に廃業して以来、小淵沢駅と東京地区の駅弁が売店で販売される。1903(明治36)年6月11日開業、山梨県甲府市丸の内1丁目。
2022(令和4)年1月の京王百貨店の駅弁大会で、仙台駅の伊達政宗、新潟駅の上杉謙信、加賀温泉駅の前田利家、甲府駅の武田信玄、豊橋駅の徳川家康、名古屋駅の織田信長、城崎温泉駅の明智光秀、姫路駅の黒田官兵衛、広島駅の毛利元就、出水駅の島津義弘の10種類が各1,500円で一斉に発売、同月の阪神百貨店の駅弁大会でも販売。約20年前の疑義駅弁である日本古窯弁当シリーズと同じく、福井県の催事業者がプロデュースし、各地の駅弁業者が調製し、大規模な駅弁大会で販売する、各地の駅弁を名乗るが現地の駅では買えない商品だと思われる。調製元や鉄道会社などは、この駅弁とその発売に何も触れていない。
今回は黒いプラ容器が円錐状とボウル状で2種類あり、この武田信玄毛利元就は円錐状のもの。これに武田家の家紋を入れ、日本古窯弁当と同じ半透明のふたをして、今回のシリーズで共通のしおりを置き、それらしき絵柄のスリーブで留める。中身は鮑の煮貝飯を名乗る茶飯を、とりもつ(鶏レバー)と高菜炒めで覆い、にんじん、しいたけ、うずら卵、ししとう、くり、大根桜漬を添えるもの。高菜は少々、鳥レバーはかなり、クセのある食材であり味を持つので、食べる人を選ぶ内容だと思う。
武田信玄(たけだしんげん)は、16世紀に甲斐国、現在の山梨県を治めた戦国時代の武将。甲斐武田家第19代当主として天文10年(1541年)に父の武田信虎を追放し家督を継ぐと、後に戦国時代最強と評される進軍で信濃(長野県)へ駿河(静岡県)へなどと侵攻し、京へ向けて領土を拡大するが、道半ばで元亀4年(1573年)に病没、その9年後に武田家は織田信長に攻め滅ぼされた。甲斐国では治山治水に城下町や法制度の整備そして人心の掌握と内政に優れ、400年以上経った今でも旅行者が山梨県内の各地でその名を感じるほど、甲州に深く浸透する。かつての甲府駅の駅弁屋は平成時代にどの駅弁も武田を名乗り、これが約30年を経て(駅弁ではないかもしれないが)帰ってきた。
2018(平成30)年12月に東京駅で発売。調製元や商品名から、甲府駅や小淵沢駅でも販売されているのではないかと思う。食品表示ラベルに「甲府開府500年記念弁当」と書いてあるとおり、2019(平成31)年の甲府市「こうふ開府500年」記念の駅弁なのだろう。漬物樽のような形をした白い陶器に酢飯を詰め、甲州牛の炭火焼肉、シイタケ煮、山菜煮、栗甘露煮、錦糸卵、アワビのスライス、紅白のはじかみ、ぎんなん、刻み梅などを散らす。つまり酢飯の牛丼。2019年の夏頃までの販売か。
甲斐国守護の武田信虎は永正16年(1519年)、躑躅ヶ崎(つつじがさき)に館を構えて城下町を整備し、永正18年(1521年)に飯田河原の戦いや上条河原の戦いで今川氏を撃退し甲府を統一、しかし悪行で天文10年(1541年)に武田信玄により甲斐を追放され、天正2年(1574年)に信濃国の高遠で死去したとされる。躑躅ヶ崎館やその城下町は新府城への移転、武田氏の滅亡、甲府城の築城により野に復し、跡地には1919(大正8)年に武田神社が建てられた。山梨県甲府市では1519年の躑躅ヶ崎館の設置をもって、甲府の開府としている。
※2020年5月補訂:終売を追記2014(平成26)年9月から11月まで実施するJR東日本の観光キャンペーン「My Premium 山梨 空に、大地に。」に合わせ、同年9月11日から11月30日までの期間限定駅弁として、甲府駅や小淵沢駅などで販売。長方形の容器に、6個の真ん丸な手まり寿司を詰め、脇でアワビの煮貝と甲州とりもつ煮を玉子焼で隠し、間にクリと生姜と巨峰寒天餅をはめる、創作系の駅弁。
手まり寿司はワインビーフ、甲斐サーモン、しいたけ、わさびの葉、赤カブ大根、みょうがで6種類。掛紙にも内容にも、甲斐と甲州と甲府と宝石、浦島太郎と玉手箱、小淵沢駅弁のいろいろが複雑に絡み合う。同時に同じ目的で売られた「甲州ワインビーフ弁当」と違い、こちらは予定の期間できっちり売り止めた模様。
2005(平成17)年までに発売か。正方形で浅めの容器に経木のふたをして、甲府盆地の市街を描いた大きな正方形の掛紙で包む。中身は小さく固い梅干しを置いた白御飯、鶏唐揚とマス塩焼、かまぼこと玉子焼と昆布巻、サトイモやニンジンなどの煮物、ほうとうをイメージしたかぼちゃグラタン、巨峰寒天餅など。甲州の要素が少しだけ感じられる、食事として過不足ない分量と風味。
かぼちゃグラタンが入ること以外は、本当にただの幕の内駅弁。しかし甲府駅では過去に地元の駅弁屋が廃業し、東京都内と小淵沢の駅弁がそのまま置かれるという、特急列車が頻発する県庁所在地の中心駅としては寂しい状況に置かれていた。そのため、甲府駅限定の駅弁が、このように見栄えも内容も価格も華美ではない形で出現していること自体が、実は今では貴重なことである。なお、調製元は小淵沢駅の駅弁屋で、販売元は東京のJRの100%子会社ではある。2011年限りで終売か。
※2015年9月補訂:終売を追記山梨県とJR東日本による観光キャンペーン「花と名水、美し色の山梨へ」の開催に合わせて、2009年4月1日から6月30日まで甲府駅で発売された期間限定駅弁で、「こうふえきべんとう」と読む。透明なトレーを入れた長方形の竹皮編み容器に、1903(明治36)年当時の甲府駅舎の写真を掲載したレトロなデザインの掛紙を巻く。中身はいなり、赤飯、白飯の俵飯を2本ずつ立てて、焼マス、鶏つくね、煮玉子、野菜入りきんちゃくなどの煮物、わさび漬、柚子味噌こんにゃく、ワインくずもちなどを詰めたもの。
甲府の駅弁屋は下記のとおり7年前に消えたまま復活や地元業者の参入がないため、この駅弁の調製元はなんと東京の日本レストランエンタプライズ(NRE)で、東京都荒川区西尾久から毎日運んできている模様。その割には同じ場所で作っている東京・品川・新宿・上野・大宮の各駅の駅弁にあまり似ておらず、地域色とまではいかないが雰囲気の良い個性が出ているし、風味も都内のものよりなんとなく柔らかい感じ。本キャンペーンに伴い開催されたパッケージツアーで配布される昼食としても使われた。
2008(平成20)年4月1日から6月30日まで実施される同じ名前の観光キャンペーンに合わせて、この期間中に販売されたと思われる記念駅弁。調製元は東京の日本レストランエンタプライズ(NRE)。長方形の黒い容器を食品表示ラベルで留めて、山梨県土のイラストや観光キャンペーンのキャッチフレーズなどを描いた掛紙を巻いてセロハンテープで留める。
中身は小さな山菜おこわいなり、茶飯おにぎり、俵飯が2個ずつと、鶏肉の味噌焼やつくね、ウドやカボチャなどの煮物、ワカサギ磯部揚、セロリ唐揚、玉子焼、白桃大福など。ちょっと雑に、でもぎっしり詰まった中身と内容で内陸県を表現し、中央本線の車窓に合いそうな印象。また、現時点で小浜、札幌に次ぐ長名駅弁第3位かもしれない。
山梨県は新潟県ほどではないが、時には中部地方、時には甲信越地方、そして国の行政機関上の分類では関東地方に入ることがある、所属地不詳なエリア。しかし旧国名ではまるごとひとつ「甲斐」であり、ぶれはない。そして現在、甲斐の国府があった県庁所在地の甲府市、旧国名をそのまま流用して2004年に誕生した甲斐市、その別称を使い2005年に誕生した甲州市と、紛らわしい名称を持つ市が3つ、東西方向に並んでいる。
2002(平成14)年12月に発売の、甲府駅限定の駅弁。香り豊かな杉材の桶型容器にボール紙の帯を締める。中身はスーパーで漬け物でも入っていそうなタッパに入っており、アワビの煮汁で炊いた御飯の上をアワビ・アサリ・鶏唐揚・山菜・錦糸卵などで覆う。甲州の郷土料理である煮貝ことアワビの醤油漬はほんのちょっぴりだけだが、小淵沢の駅弁のように駅弁の名前でアワビと名乗らないから、雰囲気で味を損ねることを低減できたかもしれない。容器や中身の香りで楽しむ駅弁。2006年頃には売られなくなった模様。
甲府駅では駅弁業者の解散を受けて、2002年4月に東京と小淵沢の駅弁業者が進出した。甲府の駅弁を買ったのに新宿駅でも同じものがあったり小淵沢駅と印刷されていたのでがっかりしたという苦情が、なぜか当館にもいくつか寄せられたので、駅や業者さんにはもっと多数の苦情が行ったはず。駅弁の衰退により一業者が複数の駅を受け持つことが当たり前になった中での、難しい問題。
※2010年5月補訂:終売可能性を追記1988(昭和63)年のNHK大河ドラマ「武田信玄」の放送に合わせて、同年に発売か。経木枠の六角形の容器に勇ましい信玄像を描いたボール紙製のふたをかけ、ひもでしっかりしばる。中身は3分割され、手前に大豆入り御飯、左上にエビフライとシシャモ甘露煮と煮物など、右上に豚生姜焼にフルーツなどが入る。
甲府駅には武田の付く駅弁が3種類もあるため、これは現地で「生姜焼き弁当」と案内されることがあった。駅弁業者の解散により、2002年3月末で終売。
JR東日本の観光キャンペーン「LOOK EAST」のオリジナル駅弁131種類のひとつとして、1989(平成元)年3月に発売か。駅弁の名前の「無敵」には「かつ」の振り仮名が付く。正方形の容器に透明なふたをして、シンプルなデザインの掛紙をかけて麻ひもでしっかりしばる。中身はたっぷりの白御飯に、クリスピーな衣を付けた味噌カツが野菜とともに入り、ポテトフライやコンニャクに玉子焼や蒲鉾その他の付け合わせ。
甲府駅には武田の付く駅弁が3種類もあるため、これは現地で「カツ弁当」などと案内されることがあった。駅弁業者の解散により、2002年3月末で終売。
※2020年1月補訂:発売年を追記価格順に「あおぞら」「ふれあい」「おもいで」「ふるさと」とあった甲府駅弁のふるさとシリーズの、個人客向けで最も安い駅弁。仕切りと枠に経木を用いた長方形の容器に掛紙をかけて麻ひもでしっかりしばる。中身はたっぷりの白御飯に、さっぱりとしたエビフライやチキンカツ、豚肉しぐれ煮にウインナー、帆立などの煮物に各種付け合わせなどが、容器の中にぎっしり積み重なるように入っている。駅弁業者の解散により、2002年3月末で終売。
1969(昭和44)年のNHK大河ドラマ「天と地と」の放送に合わせて、同年に発売した鍋容器駅弁。ずしりと重い厚紙製パッケージの中に、武田信玄の陣中食の大鍋をイメージし、しかし1人用にコンパクトサイズにした、木のふたと鉄のつるが付いた本格的なミニ土鍋の中身は、味付け御飯の上にアワビやホタテに山菜類や錦糸卵などが載る釜飯風弁当。他の釜飯駅弁と比較して、おかずにできる肉類魚介類の量が少ないが、しっかりした味と風味は負けていない。
駅弁業者の解散により2002年3月末で終売のはずが、惜しむ声に押されて4月以降もJR系列の別業者により同じような駅弁が売られたという。現在は入手できない模様。
1980(昭和55)年9月9日15時の調製と思われる、昔の甲府駅弁の掛紙。どんな銘柄米を使うかは、右側に「新潟(潟の字は略字を使用)こしひかり」とあり、県外産をアピールする。調製元の名前と経営が変わっても、「附近名所」と「当駅販売品」を掛紙に記す点は、以前の甲府駅弁と変わらない。
1960年代のものと思われる、昔の甲府駅弁の掛紙。上の掛紙の色違いに見えて、描かれているものはだいたい共通だが、山の形は少々異なる。
1960年代のものと思われる、昔の甲府駅弁の掛紙。現在も有名な観光地でハイキング名所である昇仙峡を描いているのだろう。その手前側に描かれるアーチ橋は、おそらく1925(大正14)年竣工の長潭橋(ながとろばし)で、今も昇仙峡の玄関口として交通を支えている。
1960年代のものと思われる、昔の甲府駅弁の掛紙。絵柄に地域性はなさそう。右側に附近名所案内、左側に販売品一覧、上側に注意書きがある。
1960年代のものと思われる、昔の甲府駅弁の掛紙。上の「お好み弁当」と同じく、昇仙峡が描かれているが、絵柄は同一でない。
1928(昭和3)年9月6日23時の調製と思われる、昔の甲府駅弁の掛紙。下記の1920年代の「御辨當」と、同じ絵柄での色違いと商品名違い。御嶽新道昇仙峡と身延山祖師堂、ここでは「冨」の字を使う富士山とぶどう、鉄道路線図が描かれる。
1928(昭和3)年7月6日23時の調製と思われる、昔の甲府駅弁の掛紙。御嶽新道昇仙橋と御嶽新道仙娥滝を描く。
おそらく1920年代、昭和時代初期のものと思われる、昔の甲府駅弁の掛紙。1928年3月に全通した現在のJR身延線が描かれるため、その後のものか。御嶽新道昇仙峡と身延山祖師堂、ここでは「冨」の字を使う富士山とぶどう、鉄道路線図が描かれる。
おそらく1920年代、大正時代末期のものと思われる、昔の甲府駅弁の掛紙。東京の絵葉書問屋、東京の演芸館、鉄道省の名古屋鉄道局の広告が入る。当時のサンドイッチは、今でいう特製幕の内弁当より高価な駅弁であった。
1910年前後、明治時代末期か大正時代初期のものと思われる、昔の甲府駅弁の掛紙。収集者は1908(明治41)年のものとしていた。1906(明治39)年頃以降の駅弁掛紙に見られる名所案内があり、そこに1919(大正8)年創建の武田神社がなく、1918(大正7)年頃に始まる調製印もないため、その間のものだろう。富士を描き、名所に武田を並べる。調製元の甲陽館の米倉旅館ないし米倉支店は、1904(明治37)年4月から名を何度か変えて2002(平成14)年3月まで甲府駅で駅弁を販売した甲陽軒のことだろう。