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 旅の友「駅弁」。実際に食べた9,000個以上の駅弁を中心に、日本全国と世界の駅弁を紹介します。

JR東日本 村上(むらかみ)駅 JR-East Murakami Station
2024(令和6)年9月訪問 GoogleMap

駅名標 駅舎 駅構内

新潟駅から特急列車で約50分。村上市は新潟県の北端で日本海に面した、人口約5万人の城下町。越後平野が尽きる三面川(みおもてがわ)に遡上するサケがかつて重要な産業であり、鮭料理の文化や世界初と紹介する自然や人工のふ化増殖で知られる。多くの列車がここを始発駅や終着駅とする鉄道の要衝でもあるが、1924年頃から売られた駅弁は1940年までに坂町駅へ移転してしまい、不思議なことに以後は駅弁が売られない。1914(大正3)年11月1日開業、新潟県村上市田端町。

【掛紙】御寿司(20銭)Osushi
調製年月日不詳 1930's

掛紙

第二次大戦前の調製と思われる、昔の村上駅弁の掛紙。絵柄や記載内容に村上を思わせるものはなく、大正時代から第二次大戦中まで時期を推定できるような情報も見あたらない。

村上駅では現在のJR羽越本線が全通した1924(大正13)年頃に駅弁が出現したらしいが、1936(昭和11)年8月に現在のJR米坂線が全通した後、または1938(昭和13)年3月に機関車の拠点が村上から坂町に移転した頃、あるいは1940(昭和15)年5月に、調製元が村上駅から坂町駅に移転し、以来駅弁のない駅。

越後平野の北端に位置し、古くからここを起終点とする列車あったり急行列車が止まり、1954(昭和29)年3月に市制を敷くような城下町があり、1972(昭和47)年8月の羽越本線電化で交流電化と直流電化の接点になり、平成時代には村上牛が知名度を上げて新潟駅の駅弁になったのに、村上駅に駅弁をという話がまったく聞かれない。

販売駅
羽越本線 村上(むらかみ)駅 1914(大正3)年11月1日開業 新潟県村上市田端町
調製元
萩原 村上駅 254番

【掛紙】上等御辨當(35銭)Joto Obento
1929年6月13日調製 Jun. 13, 1929

掛紙

1929(昭和4)年6月13日の調製と思われる、昔の村上駅弁の掛紙。いったいこの木は何の木か、これは村上の風景だったのか。

販売駅
羽越本線 村上(むらかみ)駅 1914(大正3)年11月1日開業 新潟県村上市田端町
調製元
萩原 村上駅前 254番