東京駅から電車で約45分。大船駅のある鎌倉市は、神奈川県の東部で相模湾に面した、人口約17万人の古都。13世紀に幕府と呼ばれる武家政権がここを拠点とし、農漁村に戻るも明治時代に別荘地や観光地として再興、文人や要人が好んで住んだり訪れた。東海道本線が横須賀線を分岐する大船駅では、1898(明治31)年から大船軒が駅弁を販売、鎌倉の文人や駅前の映画撮影所の関係者に親しまれた。1888(明治21)年11月1日開業、神奈川県鎌倉市大船1丁目。
2016(平成28)年に500円で発売。「大船軒のすけろく」というから大船駅の駅弁に見えるが、実態は東京駅など首都圏の駅弁屋で売られる商品で、親会社の日本レストランエンタプライズ(NRE)の駅弁群の一翼を担うもの。スリーブの写真のようなイラストのとおり、中身はいなりずし3個、太巻き3切れ、きゅうりとかんぴょうの細巻きが各2本という、文字通りの助六寿司。昭和時代に「普通」の駅弁と定義された定番の内容も、この内容で現存する令和の駅弁はほとんどない、実は貴重な存在。価格は2019年時点で600円、2023年時点で700円。大船軒は2023年4月にJR東日本クロスステーションへ吸収され、調製所も埼玉県戸田市へ集約された。
下記の駅弁「名代鎌倉いなり」を、2022(令和4)年10月までにリニューアル。容器は細身になったが、価格と掛紙の絵柄が据え置かれたため、変更に気が付かなかった。中身は引き続きおいなりさんでも、同じ色の3個が小さな5個に変わり、鎌倉ハム入りいなり2個、抹茶いなり、生姜いなり、梅いなりの構成となった。味は引き続き、それぞれほぼ変わらないと思うが、見た目の色が違うので、香りも違う気がしてくる。
2022(令和4)年の2月までに発売か。黒い小箱に稲荷寿司を3個詰め、商品名に宣伝文や鎌倉佐助稲荷神社を描いた掛紙を巻く。おいなりさん3個の中身はすべて異なり、しらす山椒入り、ハムと甘酢生姜入り、ごま入りとなるが、食べても分からないくらい、同じ味をしていた。口当たりは柔らかく、味付けはしっかり。大船駅弁の稲荷寿司は、下記のとおり過去十数年間ほど様々な姿を模索しており、ここにきて2000年代の姿に戻ったようだ。2022年10月までに上記の「名代鎌倉いなり」へリニューアル。
※2023年7月補訂:終売を追記2021(令和3)年7月から8月まで販売された記念駅弁「E235(鎌倉こまち)」(500円)が、9月に掛紙を替えて20円値下げして売り続けられたものと思われる。中身は掛紙にイラストと文字で紹介されるとおり、黒糖いなり、柚子いなり、抹茶いなりでお揚げが3色の三角いなり、太巻き1切れ、胡瓜(きゅうり)巻の干瓢(かんぴょう)巻の細巻き各1本、鶏の唐揚げ2個。値段も分量も風味も軽く、買いやすく食べやすい。2022年6月頃までの販売か。
※2023年7月補訂:終売を追記2021(令和3)年9月25日に購入した、大船駅弁の掛紙。上記の2022年のものと、中身や値段はまったく同じ。掛紙も同じだと思ったら、かなり念入りに見比べると、不思議と差異がある。
この姿と名前では、2016(平成28)年までに発売か。大船軒の稲荷寿司の特売品。いつでも買えるものではなく、大船駅と逗子駅の改札外の店舗では目撃例が多い。助六寿司の駅弁などに入るおいなりさんが、10個も入って350円。お店では「選外品の為、いなりの皮が破れたものが入っております。」と掲示し販売するが、味が異なるものではなく、今回購入したものにそんな品は入っていなかった。駅弁でない市販品より格安で、とてもお得な奉仕品。2018年3月までは300円で、もっとお徳だった。価格は2020年の購入時で350円、2022年6月から380円。2023年4月に大船軒がJR東日本クロスステーションに吸収合併され、大船の調製所が廃止されたため、その2023年5月限りで終売。
※2023年7月補訂:終売を追記2018(平成30)年3月の発売か。小さな正方形3つ分の縦長の容器を、ピンク色のスリーブに収める。中身はやはり正方形3区画で、チャーシューおこわと紅生姜、鯛そぼろごはんとトビッコ、かまぼこと玉子焼と煮物とアサリ煮。弁当として食べればなんてことなくも、コンビニやデパ地下の軽食にはない組合せと見栄えで、駅弁と多様性がアピールできていると思った。「諸般の事情により9月17日(月)をもって製造販売を中止」とのことで、半年で終売。
※2018年10月補訂:終売を追記2015(平成27)年の秋までに発売。調製元は大船駅の駅弁屋であり、市販の時刻表などでは大船駅の駅弁としているが、実態はJR東日本の東京エリアや車内販売で売るための商品なのだろう、ネット上の収穫報告は新幹線の車内販売ばかりで、今回の購入箇所も大船駅と何ら関係のない中央線特急列車の車内である。
中身は掛紙の写真かイラストのとおり、小柄なおいなりさん2個、細巻風のウメとアジのおにぎり各1個、鶏唐揚2個、つぼ漬。小腹よりやや多めな、米飯の軽食。価格は2015年の発売時で500円、2020年時点で600円。2020年までの販売か。
※2021年3月補訂:終売を追記下記の駅弁「鎌倉助六寿し」の、2015(平成27)年の夏時点での姿。2012年のものから内容も価格も変わっていないが、特徴的な容器が平凡なお惣菜になり、趣味的に駅弁としての見栄えは落ちてしまった。趣味でなく買う方々にとって、何の影響もないとは思う。平成の普通寿司駅弁としては、徳島駅にあったものに次ぐ分量かもしれない。2015年内までの販売で、2016年に「大船軒のすけろく」へリニューアルか。
※2022年6月補訂:現況を追記下記の駅弁「鎌倉助六寿し」の、2012(平成24)年の秋時点での姿。名前と趣旨は変わらないようだが、容器が惣菜向けから駅弁向けの樽形平面な発泡材製に変わり、中身は太巻きが2個から3個に、細巻きが3個から4個に増えた一方で、3個のおいなりさんが三色から1種類に変わり、値段が100円も上がった。価格は購入時で680円、2015年時点で700円。
※2015年9月補訂:値上げを追記2010(平成22)年夏のリニューアル。薄い木に紙を貼り合わせた小さな長方形の容器に透明なふたをして、駅弁の名前を書いた紙帯を締める。中身は太巻きが2個、かんぴょうの細巻きが3個、おいなりさんがゆず青菜、ゆず風味、黒いなりで各1個。構成は正統派の助六で、なかなかおしゃれで味もきれいな軽食。
2005(平成17)年頃に発売か。スーパーでおなじみのプラ製の惣菜容器に、割りばしごと掛紙を巻いて、セロハンテープで留める。中身は鎌倉いなり2個、梅細巻2個、かんぴょう細巻2個、古代米中巻2個。
特徴があるようなないような。少なくとも調製元の名前を前面に出すほど開発や調製に気合いの入った感じがないのは、容器に加え同封の甘酢生姜の見栄えで大きすぎる存在感からか。時季的なものか、味もゆるい感じ。ただ、大船駅弁の多様性は演じられていると思う。2007年頃までの販売か。
※2015年9月補訂:終売を追記2002(平成14)年8月1日に発売。小柄な長方形の容器に、おかか・ふりかけ・梅の3種の俵飯、というより角が立った直方体飯を2個ずつ詰めて、あとは玉子焼と揚げ焼売と、おあげのようなものがひとつ入る。少量すぎるのはともかく、おかずの部分がスカスカで底が見えるのは見栄えが悪い。2005年6月現在で販売終了済み。
下記の駅弁「名代鎌倉いなり」の、2012(平成24)年の秋時点での姿。名前と趣旨は変わらないようだが、容器が惣菜向けから駅弁向けの樽形平面な発泡材製に変わり、掛紙が縦長から横長に変わり、5種のおいなりさんのうちゆず青菜と黒糖の2種の形状が変わっている。味は以前から良く、これで見栄えもさらに良くなった。この年限りの販売か。
※2015年9月補訂:終売を追記2010(平成22)年夏のリニューアル。薄い木に紙を貼り合わせた小さな長方形の容器に透明なふたをして、駅弁の名前を書いた紙帯を締める。中身は抹茶いなり、黒いなり、青菜ゆずいなり、味噌いなり、一味唐辛子風味いなりが各1個と、アジと甘酢生姜の和え物。中身がスカスカだけれども、この容器であればあまり気にならない。なかなかおしゃれで味もきれいな軽食。いつの間にか上記のものへリニューアル。
小柄な長方形の容器に、丸みがあり形の良いいなりずしが3個入る。中身はすべて異なり、ひとつは野の幸きんぴらごぼう、ひとつは山の幸わさびめし、ひとつは海の幸いりこ菜めしで、これは夏バージョンとのこと。一個あたり120円でこれだけ良い味なのだから、大船駅で同じ値段のコンビニおにぎりを買ってはいけない。
2003(平成15)年6月14日の発売。細身な容器の中に、太巻きにしては細く細巻きにしては太い、玉子焼とかんぴょうの巻き寿司が6個入る。酢飯には古代米の黒米に紫色に染めた米を、海苔代わりにキャベツ・ニンジン・カボチャ・シソの繊維で作った野菜シートを使用し、分量に対して値段は張るが個性的な味と外観を手に入れた。中高年の女性をターゲットに発売したというヘルシーな駅弁。2005年6月17日限りで終売となった。
東海道本線横浜〜国府津間の開業120周年を記念して、2007(平成19)年7月11日から24日まで、大船駅構内のパン屋が一日120個を販売。好評のため8月20日から再発売を開始し、2009年頃まで販売された模様。通常は150円で、JR横浜支社が管内の駅弁屋4社を集めて2008年1月26日から27日まで横浜駅西口で実施したイベント「どんどん食べて!!記念・限定駅弁フェア」では、駅名標とパンの写真を載せたストラップを1本付けて300円で販売した。
鉄道の軌道を模したはしご型のパンと、電車を模した四角いパンのセット。これをプラ製ケースに1組入れて、駅名標と中身写真と商品名を書いたシールを貼る。パンの色は電車の湘南色、橙色と緑色の塗り分けを記事の色で表現し、チョコレートで窓やライトを描き、パウダーで天井に120周年を描くという凝ったもの。甘さはほどほど。ただ、今回購入品は見本写真と違い、塗り分けがうまく出ていなかった。
1973(昭和48)年8月28日17時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。昭和時代の末期までの東海道本線では、横浜駅に限らず駅弁販売駅ごとに駅売り焼売が存在し、大船駅でもこのように赤い掛紙のシウマイが存在した。北京風の焼売とはどんなものだろうか。
1939(昭和14)年5月7日17時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。その絵柄は下記の1935年9月のものと変わらないが、左下の欄外に「昭和十三年三月十八日横須賀鎮守府検閲済」の文字が加わり、戦時の掛紙であることがわかる。神奈川県の三浦半島は1899(明治32)年の要塞地帯法により許可のない地図の出版が禁止されるなどの制約があり、しかし制限は必要最小限度ということで写真や詳細な図で軍事施設を紹介しない限り問題はなかったようだが、昭和10年代になると江戸時代の浮世絵を発禁にするなど取締りが厳しくなり、このような掛紙にもその手が及んだ。
1935(昭和10)年9月25日5時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。富士山を背景に、大船駅から鎌倉や江ノ島などの行楽地への交通案内が描かれる。大船駅と鎌倉山と江ノ島口と大佛を結ぶ実線には「日本最初ノ自動車専用道路」と付記される。江ノ島電車が鎌倉駅でなく八幡宮に向かうのは誤記ではなく、1949(昭和24)年2月までは横須賀線をくぐり若宮大路の路面を走っていた。
1930(昭和5)年10月6日16時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。「湘南スケッチ其(その)六」とあり、今でいうシリーズものの掛紙だろう。として半僧坊を描いたようだが、建長寺でなく茶屋のようにみえる。舩は船の異体字で、駅名にも屋号にもこれが使われている。