東京駅から新幹線で3駅35分。小田原市は神奈川県の南西部で相模湾に面する人口約19万人の城下町かつ宿場町。関東地方の西の出入口として、戦国時代や江戸時代に歴史の舞台となった。駅弁は明治時代に国府津駅で創業した、東海道本線では最古の駅弁屋が健在だが、実態はJRや小田急の子会社が近隣のものを含めた駅弁を集めて売る。1920(大正9)年10月21日開業、神奈川県小田原市栄町1丁目。
1907(明治40)年に国府津駅で発売。現存するものでは全国で十指に入る、歴史の長い駅弁。昭和の頃から変わらない、独特の形をした八角形の容器に茶飯を詰め、鯛おぼろで覆い、ゆず大根漬、梅干し、わさび漬カップ、アサリ佃煮、かまぼこ、ちくわを添える。割りばしに加えてスプーンを添付。
ボロボロとした鯛飯は、容器のすり切りまで詰めていることでとても食べにくいと思うが、これを含めて明治時代から昭和時代までの鉄道の御馳走をいただいて、歴史を感じ取る駅弁である。実はかまぼことちくわで小田原もアピールしている。
価格は、2009(平成21)年8月にこの姿になった当時は780円、2014年に830円、2022年6月16日から880円、2023年6月から900円。平塚駅から熱海駅までの東海道本線の主要駅に加えて、東京都内の東京駅や新宿駅でも買える。
相模湾でふんだんに獲れたタイを使い生まれた駅弁であったが、タイが高騰した昭和40年代頃から代用品で同じ風味と食感を再現するものとなり、一時期は中身にタイを使わなかったこともあった模様。現在はおぼろにマダイも混ぜている。
※2024年8月補訂:写真を更新2023(令和5)年11月10日に東京、小田原、熱海駅などで発売。日本鉄道構内営業中央会の「駅弁マーク」制定35周年を記念し、会員のうち29社が主に11月10日から期間限定で販売した31種類の記念駅弁のうち、小田原駅のもの。明治時代から販売している「鯛めし」と、昭和初期から販売している「おたのしみ弁当」を合体させた駅弁。タイを描いた赤い掛紙には、比較的大きな駅弁マークと「「駅弁マーク」制定35周年記念」の文字を入れた。
正八角形の容器を4等分した中身は、小田原駅弁の鯛めし、日の丸御飯、シュウマイ2個とあさり佃煮とゆず大根、銀鮭・小田原籠清の蒲鉾・厚焼玉子ととりそぼろと伊豆のわさび漬。たしかに鯛めしと小田原駅の幕の内駅弁「おたのしみ弁当」の内容が合体しており、これが分かる人や好きな人には感心されると思う。これは11月10日から当分の間販売するという。
2011(平成23)年までに420円で発売か。小田原駅の名物駅弁「鯛めし」の小型版。2000年代にもそういうものが、東京のスーパーマーケットチェーン「ザ・ガーデン自由が丘」などで売られていた。丸いプラ容器に茶飯を敷き、おぼろで覆い、佃煮と漬物とわさび漬けを添える軽食。透明なふたを留めるスリーブに「駅弁」とあり、駅弁マークも付いているが、駅の駅弁売店では見たことがない。味は駅弁と同じ。価格は2022年の購入時で480円、2023年6月から498円。
※2023年8月補訂:値上げを追記2022(令和4)年の発売か。上記の「ミニ駅弁鯛めし」など、小田原駅の駅弁屋がつくるミニ駅弁シリーズに共通の容器と価格を持つ。丸いプラ容器に茶飯を敷き、とりそぼろとおぼろで半分ずつ覆い、タケノコ煮と漬物とわさび漬けを載せる。小田原駅弁で浅く広く親しまれる鯛飯と、深く狭く親しまれるとりそぼろを、両方味わえる軽食。透明なふたを留めるスリーブに「駅弁」とあり、駅弁マークも付いているが、駅の駅弁売店では見たことがない。価格は2022年の購入時で480円、2023年6月から498円。
※2023年8月補訂:値上げを追記2019(令和元)年7月12日の発売。スリーブの写真のとおり、長方形の容器の左側で鯛の炊込飯にほぐし身を載せ、右側でだし御飯にキンメダイのおぼろを載せ、煮物と漬物で仕切る。伝統の駅弁「鯛めし」より、少し荒い金目鯛おぼろも、もっと荒い鯛ほぐし身も、ほのかにだしが香るような気がした。2021年8月限りで終売。
※2022年4月補訂:終売を追記2017(平成29)年10月から11月まで販売。小田原駅の名物駅弁「鯛めし」について、その復刻版を同年同期間のJR東日本の駅弁キャンペーン「駅弁味の陣2017」にエントリー。下記のとおり過去に何度か復刻された掛紙の絵柄を使い、茶飯をおぼろで覆い、梅干しとおかずを添える中身も復刻か。おかずは過去の復刻版と違い、半身の煮玉子、かまぼこ、シイタケとニンジンとフキの煮物、小田原駅弁名物のとりそぼろが入っていた。
JR横浜支社が管内の駅弁屋4社を集めて、2008(平成20)年1月26日と27日に横浜駅西口で実施したイベント「どんどん食べて!!記念・限定駅弁フェア」にて販売された復刻駅弁。経木枠の容器に木目調のふたをかけて、駅弁屋に残る最も古い1926(大正15)年の掛紙のコピーをかけて、ひもで十字にしばる。中身は鯛飯に蒲鉾、玉子焼、梅干し、煮物、アサリや葉わさびの佃煮などを合わせたもの。
そのまま駅で売っていても違和感のない、内容と風味と価格。こういう内容は今ではあまり人気や注目を集めないだろうし、メインの鯛も高騰によりもう約40年も前から代用品の使用になってはいるが、東海道本線筋では伝統の駅弁として売り続けてよいと思う。
上記の復刻駅弁「御鯛飯」の、2010(平成22)年版。今回は東京駅で2010年4月10日と11日に開催された「駅弁の日 東日本縦断駅弁大会(春)」での販売で、八戸、一ノ関、山形、小田原、大船、千葉、高崎、新宿が出た8種類の復刻駅弁のうちのひとつ。今回も1926年当時のものを復刻したということで、掛紙も容器も中身も価格も2008年1月のときと同じ。掛紙の余白と梅干の位置だけが変わっている。
上記の復刻駅弁「御鯛飯」の、2014(平成26)年時点での姿。掛紙も容器も、中身も価格も同じ。掛紙の消費期限のシールが、4年前と違う場所に貼られたため、以前に隠れていた場所の情報が見えた。
2015(平成27)年4月10日から12日まで東京駅の駅弁売店「駅弁屋 祭」「駅弁屋 踊」で開催された、「4月10日は駅弁の日 駅弁誕生130周年記念駅弁大会」で販売された記念駅弁。これ以外の日や場所でも販売されている模様。日本鉄道構内営業中央会がこの年の4月10日の「駅弁の日」を、駅弁発祥宇都宮駅説により1885(明治18)年から数えて130周年として祝っており、その施策の一環だとも思われる。
分量と内容はおおむね、普段の小田原駅弁「鯛めし」と同じ。容器が四角くなり、名前と掛紙がめでたくなり、鯛めしのおぼろにキンメダイを使い、その飯の上にキンメダイ照焼を載せ、さらに付合せでキンメダイの角煮を入れ、価格を約5割増とした。おかずの増量ではなく本体のレベルアップとした高級化の、レギュラー入りはあるのだろうか。
2003(平成15)年の夏に4種まとめて発売した、小田原駅の名物駅弁ミニバージョンの鯛めし版。そのすべてに共通なミニ正八角形の容器に掛紙代わりの紙帯というスタイル。中身は味付け飯の上に魚肉そぼろが載っている、つまり当然に鯛めしと同じもの。分量的には小腹を埋めるのにも不足しそうだが、駅弁まるごと一個は胃に重いとか、普通の駅弁を一個買う代わりにミニ駅弁を二個買ってバリエーションを楽しむとか、そんな使い方ができそうな駅弁の新機軸。写真は横浜のスーパーで購入したもので外税表示。2006年の春頃の「東海道元祖小田原駅弁」シリーズの発売と入れ替わりに終売か。
※2015年9月補訂:終売を追記2018(平成30)年11月16日に購入した、小田原駅弁のふた。上記の2024年のものと変わらない。法令の強化で食物アレルギー表示が増強されただけ。
2016(平成28)年6月29日に購入した、小田原駅弁のふた。前年と中身や容器を含めて変わらない。小骨に注意しろ旨の「お願い」シールが追加されている。
2015(平成27)年5月5日に購入した、小田原駅弁のふた。上記の翌年のものと、物は同じ。食品表示ラベルの見栄えと内容に差異がある。
2007(平成19)年11月4日に購入した、小田原駅弁のふた。小田原駅弁の鯛めしについて、2008年1月時点で、プラ製のふたが無地になり、これに厚紙のふたをして、名前が「たいめし」であり、鯛めしの上にはキンメダイを載せていた。これはその前年秋にデパートの駅弁大会で販売されたもの。現地版と異なる姿から、催事専用の疑義駅弁と思ったが、ほどなく現地版がこの姿に変わった。2009年8月のリニューアルで、ふたを変えて、キンメダイを省き、かまぼこを入れた模様。
2003(平成15)年9月1日に購入した、小田原駅弁のふた。当時のふたはプラ製だった。容器の形や中身は、過去や未来とおおむね変わらない。当時の鯛飯は、味付飯を魚肉そぼろで覆ったものであった。
1986(昭和61)年1月19日9時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。つまり下記の駅弁「鯛めし」と同じロットである。駅弁の掛紙など通常は容器と一緒に惜しげなく捨てられるから、何十年も保存すると駅弁の価格以上の価値が出るのだが、なぜか東華軒の小鯵押寿司と鯛めしの掛紙は残存率が異様に高いようで、価値は出ないしこのように同じ日の物が出てきたりする。
1986(昭和61)年1月19日9時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。前年のものと比べて、価格を含め変化はない。
1985(昭和60)年6月26日9時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。下記の1976年11月のものと比べて、価格が200円上がり、雰囲気を変えないままデザインが少々手入れされている。材料の注意書きは削られた。
1976(昭和51)年11月23日8時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。下記の1975年11月のものと、まったく変わらない。
1975(昭和50)年11月16日8時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。下記の1972年2月のものと比べて、価格が100円上がり、大阪万博開催に伴う新幹線16両編成化を機にか新幹線の編成案内がなくなり、左端の「お願い」の文面が変更されるなどの変化が見られる。
1972(昭和47)年2月12日8時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。デザインは現在の「鯛めし」と同じだが、現在と異なり当時は容器に掛紙をかけていた。「大鯛・大鮃(ひらめ)・鰆・梶木鮪にて調製」と書かれているとおり、この頃にはすでにタイの高騰で代用品が使われていた。あまり知られていないが、現在もそうである。
1962(昭和37)年7月1日17時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。海に赤いタイが跳ねる、過去にも現在にも他の駅にも共通する絵柄も、その形は下記の第二次大戦前や上記の1970年代以降とも異なる。当時は「おたのしみ弁当」「かまぼこ弁当」「サンドウイッチ」が小田原駅弁の主力であったことがうかがえる。
1941(昭和16)年5月19日の調製と思われる、昔の国府津駅弁の掛紙。調製元も名前も価格もおそらく内容も、小田原駅弁と同じものだと思うが、掛紙には国府津駅と書いてある。海を跳ねる赤いタイに、以前や以後の小田原駅や熱海駅の駅弁掛紙にない富士山が描かれた。
1940年頃、昭和10年代のものと思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。上記の1941年5月の国府津駅弁と、同じものを描くが、調製元の駅名に、左側欄外の注意書きや、タイの形や波しぶきの粒数が異なり、別の版として描き分けたことがわかる。
1931(昭和6)年3月12日16時の調製と思われる、昔の小田原駅弁の掛紙。35銭の価格が30銭に訂正されている。赤いタイが海を跳ねる構図は、小田原駅弁でも他の駅でも、明治時代から令和の世まで広く使われる。調製元は「熱海線小田原駅構内 東華軒出張所」とある。1889(明治22)年7月に新橋駅から神戸駅まで全通した東海道本線で、国府津駅〜沼津駅で勾配の緩和し所要時間と輸送力を改善するために別線を設けることとなり、1920(大正9)年10月に国府津駅〜小田原駅の支線が開通した。この支線が熱海線であり、3度の延伸で1925(大正14)年3月に熱海駅へ達し、1934(昭和9)年12月の丹那トンネルの完成で東海道本線がこちらに移った。これは熱海線が熱海駅止まりだった頃の掛紙で、国府津駅の駅弁屋が小田原駅に出張所を設けたことがわかる。