東京駅からJR中央線の通勤電車で約1時間。八王子市は東京都西部の多摩地域の多くを占める、人口約58万人の宿場町。関東平野と山地の境に、戦国時代には城があり、江戸時代に甲州街道の宿場があり、明治時代まで生糸や絹織物など物資の集散で栄えた。駅弁は1901(明治34)年から売られたが1990年代に撤退、以後は東京駅弁の一部が買える。していたが今はない。1889(明治22)年8月11日開業、東京都八王子市旭町。
東京駅から通勤電車で1時間前後。長らく中央線の通勤電車の終着駅であり、高尾山の入口であり、大正天皇陵や昭和天皇陵などの武蔵陵墓地の玄関口である。駅弁は戦後昭和に八王子駅の駅弁屋が進出していたが今はない。1901(明治34)年8月1日開業、東京都八王子市高尾町。
1976(昭和51)年10月17日8時の調製と思われる、昔の八王子駅弁の掛紙。秋だから茶色い山と地色、としたのかどうか。調製印の欄にあらかじめ「昭和51年」と印刷するのは珍しい。
1976(昭和51)年10月17日8時の調製と思われる、昔の八王子駅弁の掛紙。中身はおそらく助六寿司だろう。かつて普通駅弁と定義された、普段使いのタイプ。
1976(昭和51)年10月17日8時の調製と思われる、昔の八王子駅弁の掛紙。これはどんなちらし寿司だろうか。また、この絵柄を掛紙とした理由を聞いてみたい気がする。
1973(昭和48)年8月5日10時の調製と思われる、昔の八王子駅弁の掛紙。夏だからヒマワリが咲く、としたのかどうか。高尾山や秋川渓谷など、八王子駅からでなく他の鉄道路線や駅から行ったほうが便利そうな名所を小さく並べる。
1928(昭和3)年9月2日の調製と思われる、昔の八王子駅弁の掛紙。八幡神社のイラストと、多摩御陵以下の八王子駅名所案内を記す。鉄道路線図は現在と比べて、1931年6月開通の八高線がない、第二次大戦後に改称された浅川駅や與瀬(与瀬)駅があるという差異がある。
おそらく1920年代、大正10年代のものと思われる、昔の八王子駅弁の掛紙。広告枠に日本酒と、1922年に東京上野で開催された平和紀念東京博覧会にちなむと思われる演芸館と、鉄道省名古屋鉄道局の広告が入る。東京の八王子が名古屋とは、今では不思議に思えるが、当時は全国の官営鉄道を東京、名古屋、神戸、門司、仙台、札幌の6鉄道局で所管し、中央本線の八王子駅から西は名古屋鉄道局が所管した。
第二次大戦前のものと思われる、昔の八王子駅弁の掛紙。収集者は1920(大正9)年のものとしていた。玉川餅が何なのかは分からないが、八王子駅や高尾駅の駅弁屋が玉川亭で、そこの商品だから玉川餅なのではないかと想像する。