青森駅から青い森鉄道の電車で約45分。野辺地町は青森県の三八上北(さんぱちかみきた)地方で津軽湾の奥部に位置する、人口約1万人の港町。江戸時代の陸奥湾で重要な盛岡藩の港町は明治時代に廃れ、今は畑作やホタテ養殖、あるいは鉄道と国道が分岐する下北半島の玄関口。駅弁は1952年発売の「とりめし」が名物として君臨、2000年代の調製元の撤退や後継者の相次ぐ廃業を乗り越え、駅そば屋での販売が残った。1891(明治24)年9月1日開業 青森県上北郡野辺地町野辺地。
2019(令和元)年11月に野辺地駅で発売。1952(昭和27)年の発売から野辺地駅と東北本線で親しまれた駅弁「とりめし」の野辺地駅での販売が、2019年9月で完全に終了したことを受けて、駅弁屋が2017年9月に撤退した後に同年12月からその駅弁を販売していた駅の立ち食いそば店「駅そばパクパク」が、土日曜に限りこの弁当を売り始めたもの。名前は「鳥めし」となり、この名を記した紙帯で長方形のプラ容器を留める。
白飯を鳥そぼろと卵そぼろ、チャーシューとベビーホタテで覆い、グリーンピースで彩り、柴漬けを添える。容器の形が菱形でなくなり、鶏照焼がチャーシューに変わった以外は、野辺地の名物であった駅弁のとりめしが再現された。野辺地駅弁は下記のとおり、約10年で4度目もの復活になるのだろうか。この駅弁は土休日のみの販売で、朝9時頃の入荷から早いうちに売り切れてしまうようで、個人的に4度目の正直でようやく買うことができた難関。調製元は野辺地駅前の焼き鳥店。価格は2019年の発売時で600円、2023年の購入時で700円、2024年4月時点で800円。
※2024年4月補訂:値上げを追記野辺地駅の待合室で駅弁も売る立ちそば店で買えた惣菜。駅弁を買う目的で訪問したが、駅弁は土休日のみの販売ということで、これで代用した。現物に商品名はなく、売り場で「のり弁 ¥350」と掲示。他に「ちらし寿し ¥350」と鶏唐揚とおにぎりが売られていた。長円形のプラ容器に御飯を詰めて、海苔を貼り、白身魚フライと玉子焼とソーセージを並べ、炒め物と漬物とソースを添える。値段も内容も惣菜の海苔弁当。空き店舗しか見あたらない野辺地駅で、食べ物が買えて食事にありつける、有難い存在だと思う。その場でおいしくいただいた。
1952(昭和27)年に発売。特徴的な菱形の容器に、駅弁の名前を描いたボール紙でふたをする。中身は鶏のスープで炊いた御飯の上を、錦糸卵、小柄な鶏照焼スライス、グリーンピースを数個置いた鶏そぼろで覆い、柴漬けを添えるもの。東北本線の鉄道旅客に広く知られた名物弁当であり、今では郷土の名物でもある。
2005年の伯養軒の清算により各地の支店が閉じられ、その前から東北各地の駅構内に展開していた食堂や立ち食いそば店が消えていった中で、野辺地駅では改札外駅舎内待合室でホームに面したそば屋で、このとりめしの販売が続けられた。野辺地支店は閉じられたため、調製は青森支店で行った。その青森支店が2019年9月限りで閉じられたため、再度そして本当の終売となった。その前の2015年から、仙台駅で売られるウェルネス伯養軒の駅弁「とりめし」に野辺地の名が入るようになり、2022年時点でも販売中。
野辺地駅では1893(明治26)年に、全国で初めて鉄道林が設置された。これはドイツに範をとり、線路際にスギやマツなどの森林を造成することで、吹雪や雪崩から線路や列車を守るとともに、林業での収入を期待したものである。効果の高さにより北海道や東北地方の各地に広がったほか、斜面の崩壊や飛砂の防止といった目的で暖地でも整備が進められた。
近年では林業の崩壊、路線の廃止や国鉄の解体に伴う事業用地の処分、駅周辺の都市化、構造物による防雪や機械による除雪の進歩などの理由で、鉄道林はその面積も存在も減じている印象である。しかし野辺地地区の約367ヘクタールなど東北各地に約1000ヘクタールの鉄道林を所有するJR東日本は、その重要性や環境面での効用を考えて、広葉樹種や郷土樹種などの転換により引き続き維持していくのだという。なお、2011年12月の東北本線の青い森鉄道への転換で、野辺地の鉄道林の所有者が変わったかどうかは分からない。
※2023年4月補訂:仙台駅での販売を追記これは駅弁でなく、2008(平成20)年9月13日に野辺地駅前の観光物産PRセンターで開催された「第3回のへじ停車場(てしゃば)まつり」の屋台で売られていた食べ物。蒸気機関車をイメージしてイカ墨を混ぜた、真っ黒なお好み焼きだった。大正時代に製造され、第二次大戦前の幹線鉄道で活躍した、C51形式蒸気機関車のサイドビューをCGで描く、意外に本格的な掛紙を巻いていたので、駅弁のようなものとしてここに収蔵。今後もお祭りの際に駅で売れば、そのうち話題を作れるのではないかと思う。
2008(平成20)年9月13日に野辺地駅前の観光物産PRセンターで開催された「第3回のへじ停車場(てしゃば)まつり」の屋台で売られていたお弁当。駅弁でも使われるプラ製容器に透明なふたをして、商品名を崩して大きく書いた掛紙をかけて、ひもで十字にしばる。中身は青森米つがるロマンを使った鶏そぼろの炊込飯に、鶏照焼と鶏そぼろと錦糸卵、ニンジンやシイタケなどを載せるもの。
これは食べれば普通の鶏飯。しかし野辺地で50年弱の歴史を刻んだ名物駅弁が、仙台資本の駅弁屋の清算により東京資本に買収されたことで支店の閉鎖により消滅し、しかしこの味を守るために従業員有志が新会社を立ち上げ、昔ながらのレシピで製造しているというストーリーを聞けば、応援せずにはいられない。
訪問当時の野辺地駅では、その東京資本となったウェルネス伯養軒のとりめしが、清算前の容姿と価格で販売され続けているが、駅に隣接する野辺地町観光物産PRセンターで展示される地産品としては、こちらが置かれて紹介されていた。購入時では町内のスーパーでも販売されており、PRセンターの売店での注文が可能だった。2010年3月限りないし6月頃の終売情報がある。
※2010年10月補訂:販売状況を追記2007(平成19)年4月に東京駅構内で開催された駅弁の日記念駅弁大会で、野辺地の駅弁として売られていたもの。菱形の容器に茶飯を詰め、鶏照焼と炒り卵と細かい鶏そぼろで横にストライプを描き、刻み椎茸とグリーンピースで彩ってしば漬けを添え、前世紀からのデザインの紙ぶたをかける。
食品表示ラベルでの商品名「野辺地のとりめし」。しかし伯養軒野辺地支店は会社清算の際に閉められたため、この商品の製造者はウェルネス伯養軒の仙台支店。仙台駅に同じ商品もあり、これはれっきとした仙台駅弁。
2001(平成13)年1月27日14時の調製と思われる、昔の野辺地駅弁の掛紙。野辺地は小さな街であり、幹線鉄道である東北本線が支線である大湊線や私鉄の南部縦貫鉄道を分ける駅にしては小さな駅であるが、この菱形が確固たる名物として、地元や鉄道旅客に親しまれてきた。
1970(昭和45)年6月10日の調製と思われる、昔の野辺地駅弁の掛紙。十和田湖と乙女の像、恐山と太鼓橋は、昭和時代の団体客が観光バスで押し寄せたであろう場所に思える。これが駅弁の掛紙かどうかは、少し疑問。
1959(昭和34)年8月8日の調製と思われる、昔の野辺地駅弁の掛紙。東北6県のどこでも使える絵柄に、駅名と価格を含む調製印を押した、広く使い回しが利く便利な掛紙。ここでは調製印に野辺地駅の文字があったため、この駅で売られたらしいものと判明。
1920年代の3月17日6時の調製と思われる、昔の野辺地駅弁の掛紙。価格が35銭なので、1922(大正11)年頃から1930(昭和5)年頃までのものか。掛紙に印刷された、駅舎より立派に見える建物は、コメントを読むと調製元の建物だろうか。調製元の飯田屋は1944(昭和19)年に仙台駅弁の伯養軒へ営業を引き継ぎ、その野辺地支店になったという。