青森駅や新青森駅から、特急電車で約30分、奥羽本線に五能線列車が乗り入れ、弘南鉄道が接続する駅。弘前市は青森県の西部で津軽平野の奥部に位置する、人口約16万人の城下町。生産量日本一のリンゴや、桜祭りで有名な弘前城で知られるほか、青森県津軽地方の政治や経済の中心地である。駅弁は近年、国鉄時代からの駅弁屋や地元の業者の弁当を、出しては止めての繰り返し。1894(明治27)年12月1日開業、青森県弘前市表町。
2009(平成21)年2月に地元の「津軽料理遺産プロジェクト」で開発され、ゴールデンウィーク期間中の試験販売を経て内容を見直しのうえ、弘前駅の新駅舎開業5周年記念行事に合わせて、同年12月12日から弘前駅2階自由通路での販売が開始された駅弁。
竹皮編みの容器に、駅弁の名前や青森県津軽地方の地図シルエットを描いた掛紙を巻く。半透明のトレーに収まる中身は、貝焼き味噌ごはん、棒だら煮付、身欠きニシン醤油漬、ニンジンの子和え、赤かぶ千枚漬など。湿り気のあり柔らかく、味覚でも茶色が勝る視覚でも落ち着いた雰囲気。青森県中南地域県民局地域連携部地域支援室が2008年度から実施する「津軽料理遺産」に認定・登録された食材をふんだんに取り入れたという。価格は2010年の購入時で1,050円、2014年4月の消費税率改定で1,080円、2018年時点で1,290円または1,296円。
弘前は城下町として発展した津軽平野の中心都市であり、弘前駅には特急列車や長距離列車の発着もあるが、伯養軒が何度も参入と撤退を繰り返したり、大和家が駅弁のような弁当を出したり引っ込めたりと、なぜか駅弁が根付かない駅であった。2010年度の東北新幹線新青森延伸を見据えて、津軽料理遺産認定・協議会やNREを通して十数種類の駅弁やその候補が登場したようだが、はたして今回は定着できるかどうか。
※2022年4月補訂:値上げを追記上記の駅弁「ばっちゃ御膳」の、東京駅の駅弁大会での姿。2010(平成22)年12月の東北新幹線新青森開業を目前にして、青森県内の駅弁が東京駅へ大挙して押し寄せた。中身の趣旨を変えないまま付合せを少し変えたほか、見栄えの向上が図られている。具体的には竹皮編み容器が頑丈になり、プラ製トレーが紙敷きになり、御飯の上に「いかめんち」がドスンと載り、ニンジンの子和えも床下から御飯上へ移動、箇条書きだったお品書きが写真付き解説付きに昇華している。「貝焼き味噌ごはん」なる炒り卵飯のうまさは、相変わらず。価格は2010年の購入時で1,050円、今売られれば1,296円になるのだろう。
2010(平成22)年12月4日の東北新幹線新青森延伸と、同日からの東京駅「新青森開業記念駅弁大会」に向けてデビューか。正方形の容器に透明なふたをして、中身の写真や原稿用紙を印刷したボール紙でさらにふたをする。松花堂タイプに4区画を持つ中身はそれぞれ、きのこめし、玉子焼にイガメンチにキノコ和えなど、鯛めし、コンニャクや高野豆腐やニンジンなどの煮物に身欠きニシンと万能ネギの酢みそ和えや赤カブ漬など。
太宰治で鯛を、葛西善蔵で昆布、石坂洋次郎でニシンを入れたという。1,200円も取る割にはおかずがイマイチな感じに見えて、鯛めしときのこめしのうまさが素晴らしく、おかずなど要らない感じ。出来立てではなく輸送駅弁でこれだけの鯛飯を提供できるところは、なかなかないと思う。1年間ほどの販売か。
今や津軽の観光資源でもある太宰治の解説は不要だろう。知名度が一桁違いそうな石坂洋次郎(いしざかようじろう)は、弘前生まれで昭和時代の小説家であり、1947(昭和22)年に発表されて翌々年に映画化され大ヒットした「青い山脈」が代表作。知名度がもう一桁違いそうな葛西善蔵(かさいぜんぞう)は、弘前生まれで大正時代の小説家であり、代表作は1912(大正元)年の「哀しき父」や1918(大正7)年の「子をつれて」など。
※2017年8月補訂:終売を追記2010(平成22)年4月の弘前さくらまつりに合わせて、新青森駅などで発売か。竹皮製の容器を使用、蔦温泉とその名物料理「鶏重」の写真を掲載した掛紙をかける。半透明のプラ製トレーに収まる中身は、白御飯の上を錦糸卵とタレをまとう青森シャモロックの鶏肉で覆い、舞茸とししとうとネギを置き、紅生姜と大根漬を添えるもの。つまり具を串に挿せばネギマとなる焼き鳥弁当です。千円の弁当としては見栄えと具の量が寂しいような。
これは経済産業省の2009年度の補助事業「地域力連携拠点プロジェクト」316か所のひとつである青い森信用金庫「しんきん地域力連携拠点事業」による異業種交流により、蔦温泉の秘伝のタレが調製元に提供されたことで生まれた弁当だそうな。蔦温泉は青森県の十和田山中で800年以上の歴史を刻む湯治場で、一湯一軒宿の秘湯であり、その名も「蔦温泉旅館」の木造の本館や湯船が雰囲気を醸しだす。2015年頃までの販売か。
※2017年8月補訂:終売を追記弘前駅の待合室を兼ねた小さな売店のレジで売られていたおにぎり。青森県産米つがるロマンを使い、海苔を外周に巻いた、直巻きタイプの三角おにぎりがひとつ、透明なフィルムと包装紙に包まれる。調製元は弘前駅の駅弁屋としての顔も持つ地元の大衆割烹であり、コンビニおにぎりとは一風違うため、ここに収蔵。ほんのり温かいおにぎりは、御飯の香りと塩味が絶妙だった。2015年時点で現存していない模様。
訪問時は東日本大震災から約1か月。前々日の4月7日に大きな余震が発生したことで、鉄道は再び東北地方の広い範囲で不通となり、指定券を取っていた寝台特急あけぼの号も運休してしまったため、老舗の夜行バス「ノクターン」で弘前へ入った。現地ではバスも宿も通常営業。鉄道が災害に強かったのはもはや昭和の昔の思い出だが、もはやここまで弱くなってしまったのかと。
※2017年8月補訂:終売を追記東北新幹線はやぶさ号の登場に合わせ、例年より1か月早く開催された、東京駅東日本縦断駅弁大会で販売されていた弘前駅弁。名前や容器や中身や風味は変わらないが、またパッケージが駅弁らしい方向へ強化され、ホタテがまた大きくなるとともに数が減り、価格もまた上がった。一方で最近の弘前駅では、この弁当が販売されている光景を見掛けなくなった。2012年頃までの販売か。
※2017年8月補訂:終売を追記下記の駅弁「舞茸ごはん」の、2004(平成16)年時点での姿。2004年3月時点で具が変更されたそうで、帆立が大きくなり個数は4個、きぬさやが抜けているが味は以前のまま良好。最大の変更点は駅弁の名前を入れたシールがふたに貼られたこと、これだけで駅弁または空弁としての体裁がぐっと良くなった。価格は170円も上昇したが、割高感はない。
調製元は2002年12月の特急「つがる」新設の頃は、「りんご弁当」を投入し弘前の駅弁屋格になるのかと思ったら、その後は駅弁よりむしろ空弁に力を入れているのか、そちらのほうが売れるのか、公式サイトに空弁の文字があっても駅弁の文字がなかったり、このお弁当も空弁として雑誌に紹介されたりする。
そうしているうちに、以前から駅のホーム上にそば屋を出しているかつての弘前駅の公式な駅弁屋である伯養軒が、2004年9月11日から駅弁「弘前駅長弁当」(1,300円)を駅で売り始めたというニュースが入り、結局は元のさやに収まる可能性を感じる。
真ん丸の容器に透明なフタをかけて、割り箸とナプキンとともにビニールひもで締める。中身は舞茸混じりの炊き込み御飯に小さな帆立を7個も載せ、栗や椎茸やタケノコに卵焼も一緒に載るもの。
弘前駅はかつて仙台駅弁の伯養軒の支店がある駅弁販売駅であったが、2002年6月現在で駅弁販売駅ではなく、この弁当は駅のキヨスクで売られる商品のひとつ。そんなスーパーの惣菜やコンビニ弁当のようなものまで、駅弁と呼ばれたりみなされることはなだろうが、この弁当は地元のもので、おいしかったので収蔵。掛紙でもかけてあげれば、弘前駅の駅弁を名乗れるだろう。青森空港でも販売されているそうな。
※2004年11月補訂:現行品の収蔵に伴い現在の中身に関する記述を削除百貨店の青森物産展で見つけた、弘前の駅弁屋とみなす業者さんのおにぎり。青森県産米つがるロマンと十三湖産しじみを使用したという、しじみの小さなおにぎりが一個、ビニールと包装紙に包まれている。この内容の握り飯一個で250円とは、なかなかの高価。2015年時点で現存していない模様。
※2017年8月補訂:終売を追記東北新幹線の八戸駅への延伸に伴う、八戸駅と弘前駅を結ぶ特急列車「つがる」の誕生に合わせて、2002(平成14)年12月1日に弘前駅で発売。津軽名産のりんご「ジョナゴールド」と陸奥湾産のホタテと舞茸などを混ぜた、青森米つがるロマンの炊込御飯に、おかずを添える新しい駅弁。公式な駅弁ではないが新聞や雑誌では駅弁扱いで、容器や内容や販売形態もまさに駅弁である。駅コンコース内キヨスクでの販売。弁当の形で現存するかは不詳。
調製元の郷土料理屋が開発した、冷凍販売のりんご炊込御飯「ちよちゃんのりんごごはん」を、新幹線延伸を機に駅弁化した。冷凍品も健在で同キヨスクの他に県内各地の土産物店で販売されている。2003年2月には農林水産省の外郭団体から新製品開発部門で食品産業センター会長賞を授賞した。「ちよちゃん」とは開発者のおかみの孫娘の愛称で、その孫娘がパッケージのイラストを書いたそうだ。2015年時点で現存していない模様。
※2017年8月補訂:終売を追記JR弘前駅から徒歩約15分、弘南鉄道大鰐線の終着駅。JR弘前駅より弘前市の中心市街地に近く、30〜60分間隔で大鰐温泉方面との各駅停車の電車が発着する。駅弁はない。1952(昭和27)年1月26日開業、青森県弘前市吉野町。
中央弘前駅の駅舎内待合室で焼いていた、写真のとおりの箱入りタイ焼き。1枚100円で販売している小豆あんとカスタードあんのタイ焼きが、合計で5枚入って500円。どこまでも普通のたい焼き。購入時は調製から少々時間が経過していたようで、湿ってしっとりしていた。
弘南鉄道大鰐線は1952(昭和27)年1月26日に、弘前電気鉄道が大鰐から中央弘前までの全線13.9kmを一括で開業した。第二次大戦直後は全国各地の地方都市で電気鉄道の建設機運が高まっており、この鉄道には三菱電機が地方電気鉄道システムのデモンストレーションを目的に出資したと言われる。
しかし各地の電鉄計画はほとんど日の目を見ず、弘前電気鉄道も五能線板柳駅までの延伸や田代までの支線を建設できないまま経営不振に陥り、1970(昭和45)年には現在の弘南線をすでに営業していた弘南鉄道へ吸収合併された。
昭和の頃までは年間約300万人の利用があり30分間隔で動いていた電車は、2010年時点で年間約100万人まで利用が落ち込み、昼間は1時間間隔でしか電車が来ない。訪問時には施設が見るからに老朽化し、電車は薄汚く、しかも掲示物は不正乗車を戒める警告ばかりで、雰囲気の悪さだけが印象に残った。